ちょっといいお話 Vol.8 -『「クッキー泥棒」のお話』

こんにちは、くらです。

ちょっといいお話(その8)です。

お時間のあるときに読んでいただけると嬉しいです。

今回は、元聖心女子大学教授(日本近代文学専攻)で、
多くの著書を書いていらっしゃる、
鈴木秀子さんという方の本からの抜粋です。

「クッキー泥棒」のお話
(「幸せになる9つの法則」鈴木秀子(海竜社)より引用)

夜の空港で飛行機を待っていた女性のお話です。

飛行機が出るまで時間があったので、
その女性は空港の売店で本とクッキーを一袋買って、
椅子に腰を下ろし、
女が夢中になって本を読んでいたとき、
ふと気づくと、
横にいる男がなんと、
前に置いた袋からクッキーをつまんでいるのに気がつきます。

女性は騒ぎを起こすのが嫌だったので、
無視していました。

女性がつまみ、
男がつまみ、
クッキーは、
とうとう最後の一つになりました。

男はわざとらしく笑い、
クッキーを二つに割って、
その半分を女性に渡しました。

女性はそのクッキーを、
ひったくるように取り上げ、
怒りがこみ上げてくるのを抑えながら、
その場を後にして、
飛行機に乗り込みました。

飛行機の中で本を読もうと、、
自分のかばんの中をさぐったとき、
なんと、
自分の買ったクッキーの袋がそこにあったのでした。

クッキー泥棒は、
なんと自分だったのでした。

さあ、
この女性はこの状態に、
どう対処したでしょうか。

(本文)

あの人は自分のクッキーを私にわけてくれた。

謝ろうにも手遅れだと、
女は悲しみに身悶えました。

自分こそ恥知らずの、
恩知らずの泥棒だったとは。

これが事実なのです。

さてこれからです。

この女性は、

「その一瞬に気持ちを選び取る、
考えを選び取る」、

ということの大切さを学んでいました。

自分は知らずに、
クッキーを怒りながら食べてしまったとわかった時、

「さて、
どうしよう」と思いました。

その時に、
自分をダメな人間だと落ち込むこともできたのですが、
お礼を言うこともできないのです。

それで、
彼は楽しみながらクッキーを自分と一緒に食べたに違いない、
と思うことにしました。

私という仲間があって、
きっと倍もおいしかったに違いない。

私も少し恥じをかいたけれど、
おいしいクッキーを食べ、
待ち時間を退屈しないで過ごすことができた。

それに見知らぬ人の優しさをちょっと体験できたし、
いっぱい得をしたと思いました。

「さて、
どうしよう」という時、
この女性は自分を責める代わりに、
考えを変えたのです。

すると何だかとても幸せな気分になって、
袋から出したクッキーを「彼に一枚」と言って自分で食べ、
「これは私」と言って自分で食べ、
また一袋全部食べてしまいました。

おかげで眠くなって、
飛行機の中でぐっすり眠れたというのです。

「さて、どうしよう」という時は、
すばらしい自分の中の世界を、
外の世界の価値観によって埋めるのではなく、
楽しい感情で満たすように訓練することです。

そのコツは、
「今一瞬しか生きていない」
ということをしっかり覚えておくことです。

「この一瞬」はあなたの掌の中にあって、
汚れず、
純白で、
どのようにでもできる、
すばらしい宝のような時間です。

生きているのは「この一瞬」だけです。

そして「また次の一瞬」です。

過去は忘れてしまっていいのです。

「今の一瞬」に楽しいことを選び取って、
楽しい気持ちにすることで十分です。

そのためには、
自分の中に良い考えをいっぱい入れておく必要があります。

「クッキー泥棒」のお話
(「幸せになる9つの法則」鈴木秀子(海竜社)より引用)

著者の鈴木秀子さんはこの本の中で、
スリランカの長老の話を書いています。

生きるということは苦しみに満ちたもので、
それはどうすることもできない。

その満たされない気持ちをどこへもっていけばいいか。

そういうとき、
その長老はどうするかというと、
「生きとし生けるものが幸せでありますように」と祈るのだそうです。

それから、

「私が嫌いな人も幸せでありますように」、

そして、

「私を嫌う人も幸せでありますように」、

最後にまた、

「生きとし生けるものが幸せでありますように」、

その4つの構造からなっている祈りを唱えるのだそうです。

今自分に起きていることは、
全て自分が投げかけたことの答えである、
ということをよく聞きます。

愛情を投げかければ愛情がその人から返ってくる。

返ってこないとすると、
もしかしたらそれは、
実は自分が勝手に愛情と思っているだけで、
違うものを投げかけているのかも知れません。

人は自分が持っているものしか相手に投げられないといいます。

もしそれが正しいなら、
自分自身に愛情と敬意を持つことで、
初めて相手にも愛情と敬意を投げかけられるのだと感じます。

このお話の女性は自分の過ちをどうしたらいいか、
途方に暮れたとき、
その時に彼女にできる最高の投げかけを、
もう会うことのないと思われる相手と、
そして自分自身にしたのではないでしょうか。

スリランカの長老が投げかけるものは、
自分と価値観が異なる相手にも愛情と敬意を示し、
そのことが、
相手から見て価値観が異なる自分にも愛情と敬意を示す、
ということではないでしょうか。

自分や他人の非を取り立てて感情的に騒ぐのではなく、
相手を責める自分、
自分を責める自分をしっかりと意識し、
相手にも、
そして自分にも、
愛情と敬意を投げかけることによって、
お互いの人生を前向きに進めことができるのではないでしょうか。

弱い自分、
どうしようもない自分を、
そのまま温かく受け止める自分がいて、
初めて人もやさしく受け止めることができる、
ということかもしれません。

個人個人の心の持ち方の、
とても大切な部分がここに書かれていると感じました。

今回も最後までお読みいただき、
ありがとうございました。