「ちょっといいお話」カテゴリーアーカイブ

自信も才能もなく毎日の仕事がつまらなくて仕方がなかった自分が、仕事が楽しくてしかたない自分に180度変わった理由 (その11:アドリブ力の実践2)

こんにちは、くらです。

「アドリブ力の実践」などと偉そうなことを言っておりますが、私が過去にやったことは、本当に大したことないのでした。

そのときに、自分ができることを、できる方法でやったのでした。

小学校の頃から釣りが好きでした。

父親の田舎が愛知県の山奥でしたので、毎年夏に父の実家へ遊びにいき、その環境で夏休み中を満喫したのでした。

そこで毎日釣りをして、釣りの楽しさを覚えました。

父の実家の前を、豊川の上流の支流が流れておりました。

幅10mくらいの、本当に水がきれいな川でした。

水中眼鏡をつけて川の中を覗くと、アユ、ハヤ(ウグイ)などの魚がビュンビュン泳いでいました。

みみずを餌に釣竿をふるうと、すぐに、手もとにぐっぐっという手応えがあり、魚が釣れました。

釣りの楽しさを知った私は、その後も釣りを極めたくなり、色々な本を読み漁りました。

実際に、川で釣りをするときは、このポイントに、こういう仕掛けで、こういう餌で、こうやって流すと釣れるのではないか、と、釣りに行けないときも一人で想像を膨らませていました。

それがなにより楽しくてしかたがなかったのでした。

その後、知り合いの人が海釣りに連れてってくれました。

防波堤からの投げ釣りで、アイナメ、キス、海タナゴ、カレイ、たまにヒトデやふぐの小さいのも連れました。

この防波堤の釣りも、私の想像をかきたてました。

特に、夜の防波堤のフカセ釣り(糸の先に針と餌だけつけて、自然に防波堤の壁面を釣っていく、という解釈ですが違ったらごめんなさい)にはあこがれました。

残念ながら、フカセ釣りをする機会はなかったのですが、考えているだけで幸せでした。

釣りに関しては、その後も時々雑誌などを買って、想像だけで楽しんでいました(笑)。

営業になって、この磨いた想像力が役立ったのでした。

まず、釣りそのもので顧客と仲良くなり、万年どん底の営業が変化しました。

ある顧客が釣り好きと聞き、なんとか話ができないかなと、ずっと考えていました。

「自分のやりたいことやっているのか?」

先輩のこの言葉に、ある考えが自分の頭に浮かんできました。

お客さんと釣りで仲良くなれるだろうか。いや、なりたい!

その後は、もう必死でした。

相手はめったに会えない人だったので、いつも通り道になっている場所で待って話しかける。

「いつもお世話になっております。」

当然こちらには目もくれません。

忙しそうにたったたったと歩いていきそうになるところを、なんとかしなければと必死になる。

「釣りがお好きだと伺いました。」

すると、たったたったと歩きながらチラッとこちらを見た。

「あんたもするんか?」

「こちらではまだやってませんが、始めたいと思ってます。」

「ふーん」

たったたったと歩きは止まらない。

必死で話しかける。

「最近はどんな釣りされてるんですか?」

「チヌ(クロダイ)のかかり釣りやろうかと思っている。」

「竿とかリールはもう持っていらっしゃるんですか?」

「いや、やろうかと思っているだけだ。」

ここで会話は終わり。

相手は行ってしまった。

「またよろしくお願いいたします。」

声はかけたが、聞いてはいないだろうと思うくらい、たったたったと行ってしまった。

いつもも自分だったら、「はぁ~」とため息をついて、またダメだった、と落ち込むパターンなのだが、このときは違った。

チヌのかかり釣りか。

いい情報だ。

チヌのかかり釣りに関しては、興味を持っていたので、雑誌などでよくやり方は読んでいた。

すぐにそこを出て、行きつけの釣り道具屋へ行った。

「すみません。チヌのかかり釣り用の竿とリールと釣り針、ください。」

実際はもう少し細かい話をしたのだが、よく覚えていない。

そして、竿・リール・針を入れた袋を抱えて、前の場所に戻った。

先ほどの場所で待っていたら、その人が偶然やってきた。

「先ほどはありがとうございました。」

「おう、まだいたのか。」

「チヌのかかり釣りの竿とリールと針、買ってきました。」

たったたったと歩いていた足が止まった。

異世界人を見るような目つきで見られた。

「お前、今買ってきたのか?」

「はい!」

「さっき初めて話した相手から、そんなものもらえん!」

そりゃそうだ。

私が相手の立場だったら同じことを言っただろう。

でも、なにしろこっちは必死なのだ。

「ですから、今度一緒に連れってください。」

「・・・・・」

しばらくの沈黙。

袋を手にした相手は言った。

「じゃあ、今度一緒に行くか?」

これ以降、相手の所属している釣り同好会に紛れ込ませてもらえた私は、月に一度、釣りの大会に出ることになったのでした。

その方とも良好な関係が構築でき、仕事もどんどんうまくいったのでした。

なぜあんなことができたのか、今考えても不思議なのですが、どん底の開き直りだったのかなと。

もう失うものはない、という気持ちがあったのと、ただひたすら、この人と仲良しになりたい、という思いだったのだと感じます。

つづく

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自信も才能もなく毎日の仕事がつまらなくて仕方がなかった自分が、仕事が楽しくてしかたない自分に180度変わった理由(その8)

こんにちは、くらです。

前回、認めてもらうことも大切ですが、何よりも自分が楽しめることが大事、というお話をしました。

言葉で言うのは簡単ですが、実は中々難しいことです。

実際の場にいると、楽しむなんてことは全くできませんでした。

毎日数字に追われ、やることなすこと全くうまくいかず、実績に結びつかない。

毎朝、卸さんへ行って、昨日の売り上げを見て、ため息をつく。

また売れていない。

そして、足取り重く、担当先の病院へ行く。

そして、壁の花。(かべに張り付くようにずっと立っているだけ)

そして、夜になって、家へ帰る。

こんな繰り返しでは、今考えても、辞めることしか頭に浮かびません。

ただ、新人の分際で、すでに結婚していたので、嫁さんを食わしていかなければいけないという責任感はありました。

それもあって、そう簡単には逃げ出すことはできなかったのでした。

考えてみれば、逃げ場がないのは自分にとってラッキーでした。

性格上、すぐに逃げたがるので(笑)、逃げることができない状況は、後々考えるとつくづく運が良かったのでした。

仕事でうまくいく人の話や本を読むと、その人独特のやり方があって、すごいなといつも感心、感動するのですが、一番基本の共通点は、一つだと思っています。

それは、仕事相手に喜んでもらうこと。

相手の喜びへの対価としてお金をもらう。

当たり前のことかもしれませんが、成功している人の基本は、必ずそこにあると思っています。

ということは、仕事をする際、自分はこの仕事で、誰を喜ばしたいのか、を考えることが、まず最初に必要になります。

それがないと、いたずらに時間に追われ、数字に追われ、人間関係に追われ、生活に追われ、なんのために仕事をしているのか分からなくなります。

しかし、新人の頃の私は全くそのことを分かっていませんでした。

とくかく売れればいい。売れねばならぬ。

だって営業だから。

営業は数字で評価される。

売れていない人間は、社内でも意見が通らない。

認めてもらえない。

存在価値がない。

そんな気持ちにどんどんはまっていくのでした。

相手の気持ちなど関係ない、というと言い過ぎですが、相手のことを考えている余裕など全くありませんでした。

毎日数字は落ち込んでいく。

営業成績は落ちていく。

営業所の順位もほぼどんべ。

モチベーションもなにもあったものではありませんでした。

今から考えると、そんな状態で仕事など熱が入るわけがない。

よく辞めないでいられたな、と、ひたすら嫁さんに感謝してます。

結婚してなかったら、とっくに逃げ出していたに違いありません。

どん底まで落ちた私は、先輩から言われた言葉を何度も頭の中で繰り返していました。

「お前、本当にやりたいことやっているのか?」

そこで、私がやったのは、自分のやりたいことは何だったのか、頭の中で整理することでした。

すると、やりたかったことは、先輩や上司から言われていた、やってはいけないこと、ばかりだったのでした。

これはやってはいけない、それはこうしなければならない、お前のやり方ではだめだ。

もちろん、仕事の基本的なこともたくさん教えていただいたので、ほとんどは身になったのですが、自分の頭を使わなければならない部分は、先輩や上司の言っていることだけを忠実に守っていたのではだめだったのでした。

私は自分の行動を変えました。

変えた、というよりも、自分の思ったことを、先輩や上司に相談しないでやってみることにしました。

すると、一人、また一人、と、話の通じる(仲良く話ができる)人が増えたのでした。

私がやったことは、今までやっていなかったことばかりでした。

端的に言えば、次の二つだけです。

・相手に興味を持つ(相手の興味に興味を持つ)

・相手が喜ぶだろうこと思ったこと(やってみなければ分からないことばかりでしたが)を、とにかくやってみること

これをとにかく、思いついたらすぐにやってみる。

行動に移すようにしました。

すると、自分では思ってもみないことが起こり始めたのでした。

病院で先生に会って話始めると、周りから他社のMRがいなくなることが起こり始めたのでした。

以前は、他社のMRが先生と話し始めると、自分は諦めて違う場所へいくことがほとんどでした。

これは、仲のいい先生とMRが話始めると、話に入っていけないからなのでした。

すると、その場を立ち去るしかありません。

今までと立場が逆のことが起こり始めたのでした。

ほかのMRにすれば、なんてことのないことだったのですが、私にとっては天にも昇るほどの喜びだったです。

言い方はちょっと違うかもしれませんが、いい意味で相手を独占しているという、優越感を感じたのでした。

レベルが低いと思うかもしれませんが、その頃の自分にとっては、夢のような出来事でした。

こんな自分とも仲良く話をしてくれる。

そんな人を、絶対大切にしよう、と改めて誓う(大袈裟)のでした。

そして、徐々にそういう相手が増えてきて、病院へ行くのが楽しくなってきました。

次の先では、あの先生が待っていてくれる。先日話した、この話の続きをしよう。

そして、また次の病院では、先日使ってくれたあの薬で、患者さんが良くなったかどうか、きっと先生からこんな質問がくるだろうから、文献の準備をしていこう、など、仕事の流れが自分で作れるようになったのでした。

相手の質問や疑問にすぐ答えられること、自分で仕事や話の流れを作れるようになること、これが仕事を楽しくする基本だと、その時思ったのでした。

次につづく。

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自信も才能もなく毎日の仕事がつまらなくて仕方がなかった自分が、仕事が楽しくてしかたない自分に180度変わった理由(その7)

こんにちは、くらです。

毎日辞めたい、もう辞める、とばかり考えていた営業が、突然変わりました。

前回お話したように、訪問先で、仲の良いDr.ができてから、病院へ訪問するのが、楽しくてしょうがなくなりました。

数カ月前の自分からは想像もできないことでした。

それまでの私は、病院の駐車場へ車を止めると、「はぁ~」とため息ばかり出て、なかなか車から降りることができませんでした。

「あー、行くのいやだなぁ」

今でもその時の感覚を思い出して、心が重くなることがあります。

でも、すぐにその重さもなくなります。

それは、その後、自分でその重さを克服できたからです。

克服できたのは、本当にラッキーでした。

あのまま時が過ぎていたら、今の自分はなかったでしょう。

私の仕事生活は劇的に変わりました。

毎日、仕事先の病院へ行くのが楽しくてしかたがなくなったのです。

「この病院では、これとこれをやって、すぐに次に行かなければ。」

時間が惜しくてしかたがなくなりました。

それまでは、時間が余ってしかたがなく、どうやって時間潰そうかな、という稼働をしてました。

なにせ、話す相手がほとんどいないので、仕事もすぐに終わったからです。

病院へ入って、パンフレット配って、少し先生のいる部屋の前にたって、それからすぐに出て、次へ行ってました。

説明だけではよく分からないと思いますが、新人の頃は、話す相手もいないので、ずっと壁に立っていたので、「壁の花」と呼ばれていました。

これは新人だけではないのですが、ずっと立っていると、その壁の装飾のようになっている喩えでそう呼ばれていたのでした。

ずっと壁の花だった自分ですが、行動を変えてからは、壁にたっている時間がほとんどなくなりました。(先生を待つときには立っていましたが。)

劇的に変わった理由はなんだったのか。

前回お話したように、気兼ねなく話せる相手ができたからでした。

一人そういう相手ができると、不思議にどんどん話せる相手ができてきました。

仲の良い先生方が増えると、自分の意識も変わってきました。

それまで、宣伝はパンフの内容と、会社から教えられたトークを中心に話をするだけでした。

でも、仲のいい先生には、何を質問されてもいいように、しっかりと準備をするようになりました。

この薬の子の作用は、この文献でこう述べられていて、効いているのはこの理由、効かないのはこの理由、違う作用はこの文献、などと、一所懸命に勉強するようになったのでした。

会社から与えられた情報はもちろん、頭に入れましたが、それ以外の情報も、相手によって必要なものは様々ですので、その勉強をしていたのです。

そのうち、何を聞かれても大丈夫、という自信を持てるようになりました。

もちろん、全てを即座に回答できるわけではありませんでしたが、分からないことは分からない、と、自信を持って言えるようになり、そのときは、すぐに調べて短期間のうちに回答を持っていけるようになりました。

先生がある薬を使ってくれたのに効かなかった、と言われたとき、その患者さんの状態を詳しくお聞きし、その患者さんには残念ながらうちの薬は余り効果がなく、その場合は、他のメーカーのこの薬がいいと思います、他の病院の先生が実際にお使いになって効果を仰っていました、という調子でお話していました。

その患者さんも、後日、他のメーカーの薬で良くなったことを聞き、良かったと思うと同時に、先生からの信頼もより厚くなったと感じました。

私は、自分には自信も才能もないと、本気で思っております。

でも、何かに本気で打ち込む、ということには憧れを持っていました。

本気で打ち込んでも、自信も才能もなければ何の形にもならないだろうと、やる前から諦めていたのでした。

何かのカタチになるかどうか、それは今も自信がありません。

カタチにしたいと思う気持ちはどこからくるかというと、誰かに認めてもらいたい、という気持ちからだと思います。

その気持ちを捨てられた時、もしくは忘れられたとき、自分は何かに打ち込めるのだ、ということを、今はやっと確信できたと思っております。

仕事では、会社や顧客に認めてもらいたい思うのは当たり前です。

それで、お金をいただいているのですから。

でも、認めてもらいたいという気持ちと同時に、自分で掘り下げること、追求することの楽しさを感じることが、人生でとても大切だと思います。

このことについて、次にお話したいと思います。

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自信も才能もなく毎日の仕事がつまらなくて仕方がなかった自分が、仕事が楽しくてしかたない自分に180度変わった理由(その5)

こんにちは、くらです。

前回の続きです。

仲の良かった先輩に言われた言葉。

「お前、自分のやりたいことやってるのか?」

この言葉が、しばらくずっと頭から消えませんでした。

考えるつもりもないのに、何故かずっと頭の中から消えない。

家に帰ってご飯を食べていても、その頃生まれたばかりの長男と遊んでいても、いつのまにか、その言葉の意味を考えている。

考えていても、浮かんでくる言葉は弁解ばかり。

「所長や前任者がやれっていうからやっているだけ。」

「言われた通りにやっているのに全然うまくいかない。俺のせいじゃない。」

「だいたい相手(お医者さん)が聞く耳持たないんだから、いくら説明してもしょうがない。」

「ほかの会社はもっとお金使っているし、MRも口のうまい連中ばかり。俺なんかいくら説明しても聞いてもらえない。」

などなど、こうして改めて並べてみると、感心する位人のせいにしてました(笑)。

当時の自分は、一所懸命やっているのに報われない、という恨み節ばかり口から出ていたのでした。

「自分は営業では頑張っても報われない」、という思い込みというか、逃げ道というか、一種の自分の本質に向き合わないでいられる方法を、恐らく昔から習得していたのだろうと思います。

「じゃあ、どうする?」

嫌でもこの言葉にぶち当たります。

弁解が通じないこの言葉。

「所長や先輩がやれって言ったことやっている。でもうまくいかない。」

「じゃあ、どうする?」

「自分の説明全然相手は聞いてくれない。」

「じゃあ、どうする?」

「自分は営業なんかには向いていなかったのだ。」

「じゃあ、どうする?」

So what?

それで?

問題解決の対策でよく聞く言葉。So what?

この質問が自分にとってとても辛いとき、それは、自分が持たなくてもいいものを持っているとき。

つまり、自分勝手なこだわり、思い込み、決めつけ、そんなものが自分を取り巻いているときです。

なんで辛いかというと、自分の一番見たくない自分を見なければいけないからです。

それで?考えたのか?

それで?やってみたのか?

それで?どうしてだめなのか説明できるのか?

それで?次の行動はどうするんだ?

つまり、何も具体的にやっていないことがいやでもつきつけられるのです。

何もやっていないというのは、身体は動かしているけれど、自分の考えで動いていない、ということなのです。

先輩や上司に言われたことはやっている。それで満足している。でも、成果がでない。だから、先輩や上司が悪い。

これは言ってみれば、親の言う通りに一所懸命勉強して、いい大学入って、いい会社入ったのに、幸福という成果が出ない。これは、親のせいだ、と言っているようなもの。

幸福というのは、自分の頭で考えて、行動して、その結果、自分で決めること。

失敗しようが成功しようが、それが自分の幸せなら、それでいい。

でも、人のせいにしていれば、失敗は人のせいにできる。

今考えると、すべて人のせいにしていたのでした。

成果がでない、仕事が面白くない、相手が聞いてくれない、ないないない、を全て人のせいにしていた。

その時は気づかいないのです。人のせいにしているなんて。

では、自分は次に何をしたらいいか。

そこで考えてみました。

先輩の言っていた、「自分のやりたいこと」とは何か?

やりたいこと、2,3日仕事をしながら考えていました。

すると、自分の仕事のつまらない原因が分かってきました。

「どこの仕事先(病院)へ行っても、友達みたいに話せる先生(お医者さん)がいない。

他のメーカーの営業マンはまるで友人みたいに先生に話しかけている。

「ああいう風になりたい。」

そして、私は行動に移し始めたのでした。

次回に続く。

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ちょっといいお話 Vol.10 -『修羅場で掴んだ幸せの方程式』

こんにちは、くらです。

「ちょっといいお話(Vol.10)」です。

お時間のあるときにでも読んでいただけたら嬉しいです。

今回は、
デンソー技術センターの常務を経て、
現在技術教育者としてご活躍されている方のお話です。


「修羅場で掴んだ幸せの方程式」 技術教育者 今枝  誠
月刊「致知」2010年11月号より抜粋


ある日今枝さんが家に帰ってみたら、
奥様が散らかり放題の部屋の隅で放心状態で座っていた。

「しばらく家を出たい」と奥様は仰って、
家を出たそうです。

奥様が家を出て行ってからは、
大変な生活が始まりました。

会社で激務をこなしながら家族の食事や弁当を作る、
ということだけだはなく、
能力に溺れ、
自分はすべて正しいと思い込んでいた今枝さんだったが、
上に報告もせずにどんどん前へ進む。

相手の気持ちがまるで見えていなかったため、
役員との関係もおかしくなり、
部下もみんな離れていったそうです。

悪いことは重なります。

今枝さんは出張先のタイで、
疲労による不整脈で倒れ、
会社も2ヶ月休むことになった。

体力、
気力、
知力、
いずれも萎えてしまった。

その矢先で、
今度は父親が胃がんで倒れ、
帰らぬ人となった。

その時、
ガリガリに痩せた自分を心配した母親から言われたことが、
今枝さんの心に刺さりました。

「誠、
 あんたはこれまで感謝の心で人に何かしてさしあげたことはあるかね」

今枝さんは自分がそれまでいかに仕事に邁進し、
会社に貢献してきたかを懸命に訴えたそうです。

「そんなこと当たり前じゃないの!
 本当に感謝の心があるなら、
 一度でも会社で皆さんの机を拭いてあげたことはあるの」

それまで、
自分はこんなに頑張ってきたのになぜ酷い目に逢うのかと悩んできたけれど、
周囲で支えてくれる先輩や部下に感謝の念を抱いたことはなかった。

心の霧がスカッと晴れて気持ちが楽になったそうです。

デンソー技術センターの常務になった平成十七年、
今度は膀胱がんの宣告を受けたそうです。

3回再発し、
手術も4回受けたそうですが、
いい薬にもめぐり合って、
現在は異常はないといわれているそうです。

その後、
別居して3年後正式に離婚していた奥様も、
最後の手術の時に見舞いに来て、
その後毎週末には一緒に過ごすようになったそうです。

(以下本文)

今枝さんは、
心が変われば人生も変わると仰ってます。

「実際に家庭でも職場でも人間関係がよくなり、
 心穏やかで体調もよく、
 毎日が大変充実しています。

 心が変われば人生が変わるだけでなく、
 イノベーションも変わるのです。

 人づくりというのは自分づくりだと思います。

 心を変え、
 自分を磨けば、
 人づくりもものづくりも上手くいき、
 会社も成長する。」

入院されていたとき、
同じ病室にいた3人の方から言われたそうです。

「今枝さんはいいね。
 手術が受けられるし、
 いずれ退院できる」

そのうちの一人は三ヵ月後に亡くなられたそうです。

その方は、
亡くなられるまでお子さんにメールを打ったり、
今枝さんにお見舞いの花の育て方を教えたり、
看護師さんに冗談を言って楽しませたり、
残り少ない命を最後まで精一杯生き抜いたそうです。

「私は膀胱がんになったけれども、
 まだこうして仕事をさせてもらえる。
 そう思うと感謝で心は満たされ、
 生きている間に少しでも世のため、
 人のためにお役に立ちたいと思います。

 マイナスの心も、
 そのように感謝を通じてプラスに転じることができるのです。」

「いま、
 時代は大きな転換期を迎えており、
 過去の成功体験が通用しなくなりました。

 だからこそ、
 個人も会社も軸となるしっかりした価値観を持ち、
 自分を磨いて社会に貢献していくことが大事です。

 その姿勢を貫いてゆけば、
 必ず幸福や繁栄がもたらされます。

 私は研修を通じて、
 これからも感謝や心づかいの大切さを後進に伝え続け、
 彼らが会社に画期的なイノベーションをもたらし、
 新時代を担う人材に育ってくれることを心から願っています。」


「修羅場で掴んだ幸せの方程式」 技術教育者 今枝  誠
月刊「致知」2010年11月号より抜粋

最近、
こういうお話を読んでいて、
何度も気づかされることがあります。

幸せな成功を収める人は、
ほとんどの方が同じような思いをしているということです。

逆境にさらされて、
どん底に落ちてから、
必ず誰か助けの手を差し伸べてくれる。

その後も、
また上に登ったと思ったら、
思いがけないことで下に落ちる。

それでもまた、
思いもよらない助けを得られる。

そういうことの繰り返しで、
最後に必ず出てくる思いが、
「感謝」という言葉です。

なにを幸せといい、
なにを成功とするか、
これも人によって違ってきますが、
幸せも成功も、
自分の周りにすでにある、
といこともよく聞きます。

それが分かるまで、
我々は色々、
何度でも苦労を繰り返して、
そしてだんだん感謝の心が芽生えながら、
そのときやっと、
周りにある幸せに気づいていくのかもしれません。

そして、
苦労が大きいほど、
周りにある本当の幸せへ、
自分を前へ導いてくれる人や環境のありがたさに、
気づく感性が磨かれるのかもしれません。

今苦労が大きくても、
必ずそれがいつか自分のためになると信じることができるなら、
人生ももっと豊かなものになる気がします。

今回もお読みいただき、
ありがとうございました。

ちょっといいお話 Vol.9 -『運命は我より作すもの』

こんにちは、くらです。

「ちょっといいお話(その9)」です。

お時間のあるときにでも読んでいただけたら嬉しいです。

今回は、
ある出版社の社長が自ら書かれた本からの抜粋です。

中国の明代、
袁了凡(えんりょうぼん)という人のお話です。

袁少年はある日、
不思議な老人に出会います。

その老人は袁少年に予言します。

「お前は役人として成功する相を備えている。

何歳で科挙の試験に何番目の成績で合格し、
何歳でこれだけの俸禄を手にする身分となり、
何歳で地方長官に選ばれる、

五十三歳の八月十四日に自分の家の表座敷で死ぬ。
残念ながら生涯子どもはできない」

袁少年は衝撃を受け、
役人を目指して科挙の勉強を始めます。

少年は老人が予言した年齢に予言通りの成績で科挙に合格し、
その後も老人の言った通りになっていきます。

すると、
諦念(ていねん)が湧いてきて、
ああしたい、
こうしたいという欲がすっかりなくなってしまいました。

袁氏が仕事で南京付近のお寺に滞在したとき、
その寺の雲谷(うんこく)という禅師がつくづくと彼を見て、
彼に問いかけます。

(以下本文)

「あなたはお歳に似合わずできている。
どういう修行をして、
そこまでの風格になられたのか」

「いや、
特別の修行などしていません。
実は少年のときに占いの翁(おきな)に人相を観てもらったことがあって、
いろいろと予言をされました。
それが一つも狂っていないのです。
それからは余計な煩悶(はんもん)やあがきは一切やめました。
それだけのことです」

すると、
雲谷禅師は大笑いして言い捨てた。

「何だ、
そういうことか。
それなら君は誠にくだらん人間だ」

袁氏が驚いて、
どういうことかと聞くと、
雲谷禅師の答えはこうだった。

「人間の運命が初めから定まっているなら、
釈迦や孔子がどうして苦労したのか。

偉大な人が大変苦労をして学問修業をしたのは、
それによって人間を創ることができるからだ。

確かに命(めい)というものは存在する。

だが、
人間はその命を知り、
命を立てることができる。

これは他の動物には不可能な、
人間だけにできることなのだ。

どうすればどうなるかを研究し、
それによって自らを創造することができる。

宿命や運命を立命に転換していくことができる。

人間の万物の霊長たる所以(ゆえん)は、
実にそこにある。

運命は我より作(な)すものなのだ」

袁氏は愕然とし、
そして目覚めた。

彼は発奮し、
禅師の教えに従って、
謙虚、
積善、
改過(過ちを改める)といった道徳的精進を積んでいった。

するとどうだろう。
あの老人の予言がことごとく外れ出したのだ。

五十三歳で死ぬはずが七十四歳まで生きた。

子に恵まれないはずなのに一子をもうけることもできた。

真の学は運命をも変える

袁氏は雲谷禅師に導かれて、
初めて常の人の心、
凡を悟った。

「悟」と「了」は同義語である。

つまり、
了したのである。

そのときから彼は号を改め、
了凡を名乗った。

そして一子のために自分の体験を書き残した。

それが『陰騭録(いんしつろく)』である。

「陰騭」は書経の「惟(こ)れ天下、民を陰騭す」による熟語。

「陰」は冥々(めいめい)の作用、
「騭」は「定める」の意。

冥々の間に定められているものを明らかに定める。

言い換えれば、
自然が支配する法則を人間の探求によって得た法則によって変化させていく。

「陰騭」とはそのことをいう。

安岡正篤師は生前、
よく袁了凡のこの話をされ、
『立命の書「陰騭録」を読む』(小社刊)を著されている。

袁了凡は先達に学ぶことによって運命を変えた。

われわれが先達に学ぶ意味もここにある。

安岡正篤師の次の言葉を噛みしめたいものである。

「人間は学問修業をしないと、
宿命論的存在、
つまり、
動物的、
機械的存在になってしまう。

よく学問修業をすると、
自分で自分の運命を創っていくことができる。」

「運命は我より作すもの」
(「小さな人生論」藤尾秀昭(致知出版社)より引用)

このような話を聞くと、
いつも思い出すのが、

「人間は自分が思った通りの人間になる」

「いまの自分は自分がなりたかった自分そのものである」

という言葉です。

以前この言葉を聞いたとき、
特に自分が嫌になったとき、
「どうしてこんな自分になりたいと思うものか」
と思ったものです。

でもその後、
色々な経験をしているうちに、
この言葉を受け入れざるを得ないことが分かってきたような気がします。

他人のせいにする自分がいると気づくとき、
自分は悪くないと思いたい、
自分の過ちは認めたくない、
本当の弱い自分を受け入れたくない、
そう思っている自分そのものになっている、
まさしくそんな自分がそこにいることに気づかされることが、
その後何度もありました。

でも、
だからこそ、
もし自分や周りに暖かさや優しさを投げかけたいと真に思えるなら、
そういう人間になることも可能だと思えてくるのです。

まわりに腹を立てるなら、
腹を立てようと自分が決めただけ。

自分に不都合なことが起こったとき、
それを不都合と思うのは、
自分がそう思うと決めただけ。

本当にそれが不都合なのか、
それは今までの自分の価値観を変えて、
新しい一歩を踏み出す、
すばらしいきっかけと考えられないか。

どういう人間になるか、
それは自分が決めること。

どういう人間になっているか、
それも自分が決めたこと。

もちろん、
人生で自分に降りかかってくることは、
そう簡単に割り切れることばかりではありません。

理不尽なことも多々あると思います。

でも、
それをどう受け取って、
どう解釈して、
その後どういう行動を取って、
どう自分の未来を切り開いていくのかは、
全て自分の問題であり、
自分次第で決まること。

そのために我々は、
色々なことを、
一生かけて学んでいくという、
長くて、
ときにはつらいかもしれないけれど、
きっと先には楽しくて楽しくて、
自分が自分でいて本当によかったと思える、
自分の小さな灯りが照らす道を、
歩き続けていくのでしょう。

自分の人生は自分次第なんだということを、
改めて感じさせるお話でした。

今回もお読みいただき、
ありがとうございました。

ちょっといいお話 Vol.8 -『「クッキー泥棒」のお話』

こんにちは、くらです。

ちょっといいお話(その8)です。

お時間のあるときに読んでいただけると嬉しいです。

今回は、元聖心女子大学教授(日本近代文学専攻)で、
多くの著書を書いていらっしゃる、
鈴木秀子さんという方の本からの抜粋です。

「クッキー泥棒」のお話
(「幸せになる9つの法則」鈴木秀子(海竜社)より引用)

夜の空港で飛行機を待っていた女性のお話です。

飛行機が出るまで時間があったので、
その女性は空港の売店で本とクッキーを一袋買って、
椅子に腰を下ろし、
女が夢中になって本を読んでいたとき、
ふと気づくと、
横にいる男がなんと、
前に置いた袋からクッキーをつまんでいるのに気がつきます。

女性は騒ぎを起こすのが嫌だったので、
無視していました。

女性がつまみ、
男がつまみ、
クッキーは、
とうとう最後の一つになりました。

男はわざとらしく笑い、
クッキーを二つに割って、
その半分を女性に渡しました。

女性はそのクッキーを、
ひったくるように取り上げ、
怒りがこみ上げてくるのを抑えながら、
その場を後にして、
飛行機に乗り込みました。

飛行機の中で本を読もうと、、
自分のかばんの中をさぐったとき、
なんと、
自分の買ったクッキーの袋がそこにあったのでした。

クッキー泥棒は、
なんと自分だったのでした。

さあ、
この女性はこの状態に、
どう対処したでしょうか。

(本文)

あの人は自分のクッキーを私にわけてくれた。

謝ろうにも手遅れだと、
女は悲しみに身悶えました。

自分こそ恥知らずの、
恩知らずの泥棒だったとは。

これが事実なのです。

さてこれからです。

この女性は、

「その一瞬に気持ちを選び取る、
考えを選び取る」、

ということの大切さを学んでいました。

自分は知らずに、
クッキーを怒りながら食べてしまったとわかった時、

「さて、
どうしよう」と思いました。

その時に、
自分をダメな人間だと落ち込むこともできたのですが、
お礼を言うこともできないのです。

それで、
彼は楽しみながらクッキーを自分と一緒に食べたに違いない、
と思うことにしました。

私という仲間があって、
きっと倍もおいしかったに違いない。

私も少し恥じをかいたけれど、
おいしいクッキーを食べ、
待ち時間を退屈しないで過ごすことができた。

それに見知らぬ人の優しさをちょっと体験できたし、
いっぱい得をしたと思いました。

「さて、
どうしよう」という時、
この女性は自分を責める代わりに、
考えを変えたのです。

すると何だかとても幸せな気分になって、
袋から出したクッキーを「彼に一枚」と言って自分で食べ、
「これは私」と言って自分で食べ、
また一袋全部食べてしまいました。

おかげで眠くなって、
飛行機の中でぐっすり眠れたというのです。

「さて、どうしよう」という時は、
すばらしい自分の中の世界を、
外の世界の価値観によって埋めるのではなく、
楽しい感情で満たすように訓練することです。

そのコツは、
「今一瞬しか生きていない」
ということをしっかり覚えておくことです。

「この一瞬」はあなたの掌の中にあって、
汚れず、
純白で、
どのようにでもできる、
すばらしい宝のような時間です。

生きているのは「この一瞬」だけです。

そして「また次の一瞬」です。

過去は忘れてしまっていいのです。

「今の一瞬」に楽しいことを選び取って、
楽しい気持ちにすることで十分です。

そのためには、
自分の中に良い考えをいっぱい入れておく必要があります。

「クッキー泥棒」のお話
(「幸せになる9つの法則」鈴木秀子(海竜社)より引用)

著者の鈴木秀子さんはこの本の中で、
スリランカの長老の話を書いています。

生きるということは苦しみに満ちたもので、
それはどうすることもできない。

その満たされない気持ちをどこへもっていけばいいか。

そういうとき、
その長老はどうするかというと、
「生きとし生けるものが幸せでありますように」と祈るのだそうです。

それから、

「私が嫌いな人も幸せでありますように」、

そして、

「私を嫌う人も幸せでありますように」、

最後にまた、

「生きとし生けるものが幸せでありますように」、

その4つの構造からなっている祈りを唱えるのだそうです。

今自分に起きていることは、
全て自分が投げかけたことの答えである、
ということをよく聞きます。

愛情を投げかければ愛情がその人から返ってくる。

返ってこないとすると、
もしかしたらそれは、
実は自分が勝手に愛情と思っているだけで、
違うものを投げかけているのかも知れません。

人は自分が持っているものしか相手に投げられないといいます。

もしそれが正しいなら、
自分自身に愛情と敬意を持つことで、
初めて相手にも愛情と敬意を投げかけられるのだと感じます。

このお話の女性は自分の過ちをどうしたらいいか、
途方に暮れたとき、
その時に彼女にできる最高の投げかけを、
もう会うことのないと思われる相手と、
そして自分自身にしたのではないでしょうか。

スリランカの長老が投げかけるものは、
自分と価値観が異なる相手にも愛情と敬意を示し、
そのことが、
相手から見て価値観が異なる自分にも愛情と敬意を示す、
ということではないでしょうか。

自分や他人の非を取り立てて感情的に騒ぐのではなく、
相手を責める自分、
自分を責める自分をしっかりと意識し、
相手にも、
そして自分にも、
愛情と敬意を投げかけることによって、
お互いの人生を前向きに進めことができるのではないでしょうか。

弱い自分、
どうしようもない自分を、
そのまま温かく受け止める自分がいて、
初めて人もやさしく受け止めることができる、
ということかもしれません。

個人個人の心の持ち方の、
とても大切な部分がここに書かれていると感じました。

今回も最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

ちょっといいお話 Vol.7 -『おばちゃんのおまじない』

こんにちは、くらです。

ちょっといいお話(その7)です。

今回はある女性美容師さんが体験されたお話です。


「おばちゃんのおまじない」

その美容師さんのお父さんが、
”ガン”で入院されたときのこと。

入院された病棟は、
多くが末期がんの患者さんの病棟でした。

ある日お父さんが、
「頭がかゆい」
と言ったので、
そのフロアの中央にある、
サロンにある様なサイドシャン用のシャンプー台で、
お父さんの頭を洗ってあげました。

そのフロアの“住人”達は皆、
首から上の大手術をした患者ばかり。

お父さんの頭の傷口も頭にあり、
洗うときにその傷にも触れてしまいました。

「心配するなー。
気持ちいいぞー」

とお父さんは言ったそうです。

それを、
いつも大声で元気にしゃべっている、
あるおばさんの患者さんが見ていました。

次の週、
見舞いに行くと、
シャンプーの予約が6件も、
しかも女の人ばかり、
入っていました。

週が重なるごとに1回では間に合わないくらい、
シャンプーとカットの予約が入り、
私は売れっ子の様に忙しかったそうです。

それから1ヶ月。

忙しくなるきっかけとなった、
元気のいいおばさんの件で、
お父さんから連絡がありました。

(以下本文)

仕事場に父から電話があり、
「おばちゃんがどうしても頭やってくれってきかない」
といわれ、
仕方なく道具をもって病院に行った。

確かに図々しいおばちゃんだが、
無理難題を言う人じゃなかった。

不思議に思いながらカットをして、
いつも通りシャンプーをした。

傷にはもう慣れていた。

だから、
手が雑だったんだろう。

おばちゃんは、
私に何度も洗い直しをさせた。

“おいおい私はもうシャンプーギャルじゃないんだからさぁ・・・・・・”

心の中で思ってた。

すると、おばちゃんが言った。

「シャンプーしてもらってるとさぁ・・・・・・
やってくれてる人の心の中の声ってきこえちゃうんだよね。

今カンベンしてよって思ってんでしょう。

聞こえちゃったもんね。

まあさ、
私にとっちゃこれが人生最後の美容院なんだから、
あきらめて頑張って洗いな。
ガッハッハ」

息が詰まった。

同時に正直、
“このやろう!
やってやろうじゃん!“

とも思った。

余計なことはいっさい考えなかった。

初めてその人のためだけに無心でシャンプーした。

シャンプーが上がったおばちゃんはこうも言った。

「私さぁ、
本当ならもうとっくに寿命きれてんのよね。

先生に言われたわぁ。

『岡田さんの娘さんに頭やってもらってたから、
寿命延びたんじゃないの』ってね。

最後に本当に心のこもったシャンプーしてもらったし、
寿命まで延ばしてもらって、
本当に感謝してるわぁ。

ガッハッハ」

何も言えなかった。

自分がした事が良い事だなんて、
わからなかった。

ただ、
おばちゃんのおかげで、
今まで自分は雑に仕事をしてきたのだろうと、
ガクゼンとした。

洗いすぎて指先がフヨフヨになっていた。

おばちゃんはその手を見て、

「まだまだきれいな手。
そんな手、
職人の手じゃないよー。

もっと荒れてごわごわになって、
そうしたら一人前だ。

見たかったけど残念だー。

でも、
あんたは強い。

一生懸命、
生きなさいよ。

人間、
3分後に死んじゃうかもしれない。

心残りないように、
仕事も家庭も手を抜くんじゃないよ。

約束だからね。

破ったら化けて出るからね。

ガッハッハ」

次の日の朝、
おばちゃんは、
口紅をつけて死んでいた。

息子さんに、

「ありがとうございます。
あなたのおかげで母は少しだけ欲張って生きました」

と言われた。

父が死にそうになっても泣かなかった私だが、
病院中に響き渡る程大声で泣いた。

今、
自分の手を見てみる。

今年で40歳。

美容師はじめて21年。

まだまだキレイな手。

もっと荒れて、
ゴワゴワになって、
心の声を聞かれても困らないよう、

「どうぞまた、
この人と会えますように」

と願いながら仕事をしている自分がいる。

そんな自分が好きだ。

私は強い。

おばちゃんがかけてくれたおまじない。

もっと手が荒れてゴワゴワになったら、
一人前。

見てて、
おばちゃん。

私はもっとがんばれる。

「おばちゃんのおまじない」
(「世界に一つだけのギフトー人生に幸運と奇跡を呼ぶ15の感動エピソード」平野 秀典(実業之日本社) より引用)

命をかけても相手のために、
大切なことを伝える。

そして、
見返りを求めることのない、
孤独な幸福感。

これは、
本当の愛の姿ではないか。

そんなことをこのお話から感じました。

人と人の出会いは本当に不思議です。

ある人と出会ったことで、
自分の人生や考え方が変わってしまうことが、
事実としてあるような気がします。

人の死に直面した人は、
その人の何かが変わる、
ということを聞いたことがあります。

この美容師さんも自分のお父さんと、
そしてこの話のおばちゃんによって、
今を一所懸命に生きることの意味を、
自分自身を生きることの意味を、
そして、
真の愛を与えることは愛を受け取ること、
そんなことを知ることができたのではないでしょうか。

自分の仕事を誠心誠意勤めることが、
ほかの人の人生を彩ることができるなら、
まさにその仕事を天職と感じることができるのでしょう。

我々も、
もしかしたらそんなチャンスを、
色々な場面で受けているかもしれません。

そんな出会いとチャンスを感じる心を、
いつも持てたら、
仕事も人生も更に奥行きの深いものになる気がします。

そのためにも、
いつも自分自身に、
本当に相手のためになるのだろうか、
これがその唯一の方法なのだろうか、
他にもいい方法があるのではないだろうかと、
問い続けることが必要なのかもしれません。

そしてそれはきっと、
人生の最後まで続く、
答えのない、
長い長い問いかけであると感じます。

今回も長くなりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ではまた。

ちょっといいお話 Vol.6 -『日本一のパパ』

こんにちは、くらです。

「ちょっといいお話」Vol.6です。


今回は、
あるコンサルタントの方の経験談で、
その人が担当した、
ラーメン店経営者の方のお話です。

三店舗のラーメン店の経営をしている木村さん(仮名)は、
最初は勢い良く、
一気にお店を3店にまで拡張しましたが、
そのうちに売上は伸びなくなり、
それどころか次第に客数も減少していきました。

我も忘れて、
朝も早くから、
晩も遅くまで、
一生懸命に働いているにもかかわらず、
毎月150万円前後の赤字を出し続ける状況にまで悪化してしまいました。

駅前でチラシを配ったり、
お客様に割引チケットを配ったり、
ありとあらゆる努力はしても結果に結びつかず、
なかなかこれといった打開策も見つかりませんでした。

奥様の幸子さんも、
そんなご主人を傍で見ながら、
なんとか力になりたいと思ってはいても、
何もできない歯がゆさに苦しんでいたそうです。

そんなある日のことでした。

(以下本文)

木村さんが、
いつものように明け方になって家に帰ると、
寝ている幸子さんの横で、
子どもが起きていました。

何気なく、
そっと抱き上げました。

そして、
あやそうとすると、
やっと片言で話し始めたばかりの子どもが、
自分に何かを伝えようとしています。

「・・・・・・ぱぱ」

何を言っているのか、
はじめはよくわかりませんでした。

「ん?」

「・・・・んち・・・ぱぱ」

それでも、
子どもは同じ言葉を何度も言っているようです。

「な~に?・・・」

「・・・いおんちの・・・ぱぱ」

こちらの顔をじっと見て、
必死に何かを伝えようとしています。

「何の、ぱぱ?」

そして、
とうとう、
子どもの言葉をはっきりと聞き取ることができました。

「にほんいちのぱぱ」

「!」

思わず、
木村さんの目に涙があふれ、
頬を伝わって流れていきました。

「・・・・・・・・」

子どもを抱きながら、
ただ泣きました。

それまで、
必死に耐えていた心のたがが外れたように、
あふれてくる悔しさを我慢することができなくなりました。

“悔しい・・・・

なんと、
自分は情けない人間なんだろう。

子どもの言葉に素直に、
「そうだよ」と、
うなずけない自分が・・・・

本当に悔しい。

日本一どころか、
明日食べていけるかどうかもわからない。

この子は、
それでも自分のことを、
日本一と思っている・・・“

涙を流している木村さんに向かって、
また子どもが瞳を輝かせながら言いました。

「にほんいちのぱぱ」

“子どもの言葉に、
胸を張って「そうだよ!」と答えたい。

このままでは、
絶対にいけない!

子どもを静かに布団の上に寝かせ、
すぐに洗面所で顔を洗いました。

その間も子どもの声が頭の中で何度もリフレインして響き渡り続けます。

洗面台に両手をつき、
下を向いて、
ポタポタと流れ落ちる涙が止まるのを、
ただひたすら待つしかありませんでした。

その日、
木村さんは布団の中で目をつむっても涙が止まらず、
とうとう一睡もできませんでした。

翌日、
木村さんは真っ赤な目をしたままスタッフを集めて言いました。

「今日から、
すべてを変える。
料理の味も、
接客も、
何もかも変える」

いきなり聞かされたスタッフは、
キョトンとした反応でした。

「どうするんですか?」

「どんなふうに変えるんですか?」

スタッフは皆、
何かを変えたほうがいい、
とは思っていたのですが、
どうしていいかわからなかったのです。

「俺にも、
わからん・・・・。

今は、
わからん。

でも、
変える」

「そうは言っても、
まずは何から変えるんですか?」

「まずは、
私が変わる!」

「何のためにですか?」

「日本一になる!」

それから木村さんは一念発起し、
よいと思ったことは、
次々に行動に移していきました。

とにかく、
どんなにささいなことであっても、
自分にできることを探し続けました。

“どんな苦労をしてもかまわない、
子どもが誇りに思うような父親に、
絶対なる!“

毎日、
毎日、
必死に研究を続けました。

どんなに失敗しても、
そこから何が学べるかを考え、
次のチャレンジに活かしていったのです。

その結果、
次々と新しい料理を作ることに成功していきました。

実は、
この話の陰には、
妻、
幸子さんの見えない支援があったのです。

仕事の面では直接何も手伝うことができない幸子さんは、
心の中でいつも彼を励まし続けていました。

帰りの遅い父親がいない家の中で、
毎日子どもに語りかけていたのです。

“あなたのパパは、
日本一のパパよ“

私たちは、
自分の思い通りにならないことを、
他人のせい、
環境のせいにしてしまうことがあります。

そして、
まわりに期待して、
いつも裏切られ、
不満を言ってしまいます。

不満をいくら言っても、
何も解決しないことはわかっていても、
人は、
夢がなくて、
本気になれないとき、
他人のせいにするものです。

限界を作ることができるのは、
自分だけです。
夢をあきらめることができるのも、
自分だけです。

自分があきらめない限り、
夢が私たちをあきらめることはありません。
夢はいつまでも、
私たちがやってくるのを待ち続けてくれるのです。

「日本一のパパ」
(「仕事が夢と感動であふれる5つの物語」福島正伸(きこ書房))より引用

成功する人は、
自分の限界を超えた人である、
という言葉を聴いたことがあります。

この限界というのは、
どんな意味なのか、
考えてみました。

スポーツの世界では、
肉体的な限界、
前人未到の記録、
つまりその時点での、
人間そのものがもっている、
才能や可能性の限界などがあると思います。

限界の言葉の意味として、
あらかじめそこまでと限られたところ、
ということが上げられます。

つまり、
そこから先へは進めなくなる、
まさにその境界のところ、
と考えられます。

スポーツや勝敗を争う世界では、
勝ち負けの境界が決まってますので、
限界は確かに見やすいかもしれません。

では、
普通の生活をしている一般人が、
自分の世界の限界といったとき、
肉体的限界を除くと、
なにがあげられるかというと、
これはなかなか難しいことで、
そう簡単には示すことができないのではないでしょうか。

「もうあの会社に勤めるのは限界だ」

「あいつの顔を見るのはもう限界だ」

「こんなにたくさんの仕事をなんで私1人でやななくちゃいけないの。
もう限界!」

このような言葉は、
割とよく聞かれるのではないでしょうか。

これらの内容から、
一つの共通事項が浮かんでくると思います。

それは、
限界を、
自分で決めているということ。

人それぞれ、
与えられた資質・性格や、
置かれた環境・状況など、
時代によっても、
さまざまな問題がたくさんあります。

ですので、
限界は自分しだいで変えられる、
とは簡単にいえないかもしれません。

人を変えることはとても難しいことだ、
という言葉をよく耳にします。

同様に、
自分を変えることもとても難しいことだ、
と感じます。

でも、
苦しみの底からはい上がり、
自分の前にたちはだかる壁を乗り越えた人に共通しているのが、
自分を変えたこと、
だということを、
色々なところで耳にします。

どうしたら自分を変えることなどできるのかは、
その人にしか分からないことなのかもしれません。

ただ、
このお話を読んで、
自分を変えるエネルギーとなるのは、
自分がなんとしても実現したいという、
「夢」への「思い」なのではないか、
そして、
その「思い」をゆるぎないものにしてくれるのが、
自分の周りの大事な人たちへの感謝と、
愛情なのではないか、
と感じました。

自分の限界は、
自分でしか分からない。

だからこそ、
我々は、
常に、
自分自身に課している、
「思い」に問いかけていれば、
いつの間にか、
自分で作っていた、
限界という壁を、
壊すことができるような気がします。

最後までお読みいただき、
感謝いたします。