「ちょっといい自分を知る」カテゴリーアーカイブ

自信も才能もなく毎日の仕事がつまらなくて仕方がなかった自分が、仕事が楽しくてしかたない自分に180度変わった理由 (その12:アドリブ力の実践3)

こんにちは、くらです。

前回は、以前得意(?)だった釣りの話をしてしまいました。

自分のそのときの得意分野を活用する、という話をしたかったのですが、伝わったでしょうか。

人はそれぞれ自分の世界を持っていると思います。

その中で、人よりは少しでも得意、もしくは好きな世界があると思います。

それを足掛かりにして、人生も、仕事も楽しくできると感じます。

前回は、私の好きな釣りそのものを活用した例でした。

釣りとアドリブが関係しているのかどうか。

これは、とても関係が強いと思っています。

アドリブは、即興。音楽では即興演奏。

目の前の事象に対して、咄嗟に判断して対応すること。

アドリブ力とは、咄嗟に対応して、自分も周りも前に進むようにもっていく力、と定義します。

釣りは、海だったら、ねらう魚の習性に合った仕掛、餌、そして、釣り方が必要です。

釣り方は、その日の潮の動きや天候に左右され、餌をどこにどう流すかを瞬時に判断しなければなりません。

何度か流して当たりが無ければ、餌を変えたりタナ(餌を流す深さ)を変えたり場所を変えたりします。

音楽のアドリブも、流れてくる伴奏、コード、リズム、などに合わせて、弾く音や弾き方をその場で判断し、即座に演奏に移します。

頭で考えている時間はほとんどないので、瞬時に身体(ギターだったら弾く指)が反応して楽器から音を出すことになります。

しかし、何もないところから新しいものは生まれない。

新しいものは、その世界のバランスの中で存在していくもの。

ジャズだったらジャズの世界を踏まえたうえでそれを越えるもの。

ロックだったら、それまでの枠組み、リズム、楽器、音感、などを踏まえたうえで超えていくもの。

ギターでアドリブをするには、どんな曲で、リズムで、コード進行で、長さで、編成で、などを理解したうえで自分の音を作っていきます。

ジャズを演奏しているのに一人だけロックを演奏してもバランスが整わない。

演奏者としては面白いかもしれないが、聞いている側ではそれはどうなるかわからない。

人に対しても同じことが言えると思います。

こちらは大好きな果物(たとえばメロン)でも、相手にとっては、もしかしたら食べたくない(以前おなかをこわした、とか)理由があるかもしれない。

アドリブ力は、自分もまわりも巻き込んで前へ進む力。

相手に投げかける前に、十分相手を知っておく必要があるのです。

私はブルースでしたら、何とかアドリブっぽいことはできます。

それは、ブルースの12小節の構造、コード、使える音、リズム、などに耳も身体も慣れているからです。

こんな感じです。Blues demo

前半に使える音(マイナーとメジャー・ペンタトニックスケール)を弾いてます。

それを使ったアドリブを最後に弾いてます。

基本的な知識とスキルはアドリブには必要になります。

これは、どんな状況のアドリブにも同じことが言えると思います。

顧客との面談での、聴くアドリブ。

プレゼンでの説明のアドリブ。

数人での会話でのアドリブ。

会議での質問のアドリブ。

これらは全て、その状況における知識・スキルをふんだんに活用するうえで発揮されるアドリブです。

そして、アドリブを発揮するのに必要な要素として、傾聴と捉われない心が必要なのです。

これを私は、傾聴力、自捨力と名付けています。

つづく

自信も才能もなく毎日の仕事がつまらなくて仕方がなかった自分が、仕事が楽しくてしかたない自分に180度変わった理由(その7)

こんにちは、くらです。

毎日辞めたい、もう辞める、とばかり考えていた営業が、突然変わりました。

前回お話したように、訪問先で、仲の良いDr.ができてから、病院へ訪問するのが、楽しくてしょうがなくなりました。

数カ月前の自分からは想像もできないことでした。

それまでの私は、病院の駐車場へ車を止めると、「はぁ~」とため息ばかり出て、なかなか車から降りることができませんでした。

「あー、行くのいやだなぁ」

今でもその時の感覚を思い出して、心が重くなることがあります。

でも、すぐにその重さもなくなります。

それは、その後、自分でその重さを克服できたからです。

克服できたのは、本当にラッキーでした。

あのまま時が過ぎていたら、今の自分はなかったでしょう。

私の仕事生活は劇的に変わりました。

毎日、仕事先の病院へ行くのが楽しくてしかたがなくなったのです。

「この病院では、これとこれをやって、すぐに次に行かなければ。」

時間が惜しくてしかたがなくなりました。

それまでは、時間が余ってしかたがなく、どうやって時間潰そうかな、という稼働をしてました。

なにせ、話す相手がほとんどいないので、仕事もすぐに終わったからです。

病院へ入って、パンフレット配って、少し先生のいる部屋の前にたって、それからすぐに出て、次へ行ってました。

説明だけではよく分からないと思いますが、新人の頃は、話す相手もいないので、ずっと壁に立っていたので、「壁の花」と呼ばれていました。

これは新人だけではないのですが、ずっと立っていると、その壁の装飾のようになっている喩えでそう呼ばれていたのでした。

ずっと壁の花だった自分ですが、行動を変えてからは、壁にたっている時間がほとんどなくなりました。(先生を待つときには立っていましたが。)

劇的に変わった理由はなんだったのか。

前回お話したように、気兼ねなく話せる相手ができたからでした。

一人そういう相手ができると、不思議にどんどん話せる相手ができてきました。

仲の良い先生方が増えると、自分の意識も変わってきました。

それまで、宣伝はパンフの内容と、会社から教えられたトークを中心に話をするだけでした。

でも、仲のいい先生には、何を質問されてもいいように、しっかりと準備をするようになりました。

この薬の子の作用は、この文献でこう述べられていて、効いているのはこの理由、効かないのはこの理由、違う作用はこの文献、などと、一所懸命に勉強するようになったのでした。

会社から与えられた情報はもちろん、頭に入れましたが、それ以外の情報も、相手によって必要なものは様々ですので、その勉強をしていたのです。

そのうち、何を聞かれても大丈夫、という自信を持てるようになりました。

もちろん、全てを即座に回答できるわけではありませんでしたが、分からないことは分からない、と、自信を持って言えるようになり、そのときは、すぐに調べて短期間のうちに回答を持っていけるようになりました。

先生がある薬を使ってくれたのに効かなかった、と言われたとき、その患者さんの状態を詳しくお聞きし、その患者さんには残念ながらうちの薬は余り効果がなく、その場合は、他のメーカーのこの薬がいいと思います、他の病院の先生が実際にお使いになって効果を仰っていました、という調子でお話していました。

その患者さんも、後日、他のメーカーの薬で良くなったことを聞き、良かったと思うと同時に、先生からの信頼もより厚くなったと感じました。

私は、自分には自信も才能もないと、本気で思っております。

でも、何かに本気で打ち込む、ということには憧れを持っていました。

本気で打ち込んでも、自信も才能もなければ何の形にもならないだろうと、やる前から諦めていたのでした。

何かのカタチになるかどうか、それは今も自信がありません。

カタチにしたいと思う気持ちはどこからくるかというと、誰かに認めてもらいたい、という気持ちからだと思います。

その気持ちを捨てられた時、もしくは忘れられたとき、自分は何かに打ち込めるのだ、ということを、今はやっと確信できたと思っております。

仕事では、会社や顧客に認めてもらいたい思うのは当たり前です。

それで、お金をいただいているのですから。

でも、認めてもらいたいという気持ちと同時に、自分で掘り下げること、追求することの楽しさを感じることが、人生でとても大切だと思います。

このことについて、次にお話したいと思います。

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自信も才能もなく毎日の仕事がつまらなくて仕方がなかった自分が、仕事が楽しくてしかたない自分に180度変わった理由(その4)

こんにちは、くらです。

前回の続きです。

営業職を自分で選んだのですが、最初の印象は、「間違っていた!」(笑)

そもそも、世間で苦労したことのない人間が、人に頭を下げたり、おべっか使ったり、愛想笑いしたり、などできるわけがない。最初は本当にそう思っていました。

つまり、私の営業に対する印象そのものが、そもそもよく分かっていないことから来るものでした。

考えてみれば当たり前です。

何の経験もなく、ただただ営業やってみようかな、などと、深い決意もない軽い人間が、分かっているはずがないのでした。

ですので、営業を始めた最初の1年は、散々な結果。

当時の支店では、成績はいつもほぼどん尻でした。

前任の先輩から病院・開業医の先生方を受け継ぐのですが、最初はほとんど相手にされませんでした。

毎日病院へいく。

先生に会う。

宣伝をする。

「またよろしくお願いします。」

そして、次の病院へいく。

この繰り返し。

実績は全く伸びない。

こんな毎日を繰り返していれば、誰でも嫌になります。

仕事をしているという実感が持てない。

それは、自分が投げたものに対する反応が全く感じられないから。

なぜ反応がないか。

それは、投げること、投げるものが、全て独りよがりだからです。

相手の受け取りたい内容のものを投げない限り、受け取って、そして、投げ返してはくれません。

と書きながら、気づいてしまいました。

このブログもそうなのかも、と。

そもそも投げる相手が全然いないのでした。

反応がないことを続けることくらい、つらいことはありません。

誰でも、自分がやっていることに誰も反応しなければ、継続する意欲がなくなるでしょう。

営業をしていた最初の自分が、全くその通りなのでした。

顧客に製品の話をする。

一応聞いてくれる。

「わかった。機会があれば使うよ。」

と言ってくれるのですが、そう言って使ってくれる人はいませんでした。

私の営業は、医薬品をお医者さんに説明して、適応ある患者さんに使ってもらう、という仕事でした。

毎月一度、支店全員が集まり、丸一日製品の知識、説明の仕方、ロールプレイなどの知識・スキル研修。

きっとどこの業界でもやっていることだと思いますが、伝えるべきことを伝わるように伝える方法を学ぶ。

学ぶ内容は、もちろん会社の各部門から戦略に基づいて作成されたものですので、どの営業マンにも共通です。

でも、実際に現場で使うと、どうして、といいたくなるほど、結果に差がでるのです。

先輩たちと同じことを勉強して、同じように使い方を習っているのに、どうして実績にこれほどの差が出てくるのだろう。

毎日現場へ行って、夜疲れ果てて帰って来て、その日の実績の報告を見て、ため息をつく。

「全然だめだ。」

やっていることが実績に結びつかない。

どうして。考えても考えても分かりませんでした。

習ったことはみんなやっているはず。

やるべきこと、そして、やってはいけないこと。

それに基づいて行動しているはずなのに。

毎日その繰り返し。

やってもやっても報われない仕事に、ほとほと嫌気がさしてきていました。

「やっぱり、自分は営業には向いていないのだ。」

「同期のあいつはもうあんなに実績出している。」

「営業は、向いている人間がやる仕事なのだ。」

こんな声が、自分の頭の中を常に流れていました。

そして、段々と、仕事を辞めることを考えていました。

「自分のような性格に向いている仕事があるはず。」

「営業は、明るくて、前向きで、話がうまい連中がやる仕事だ。」

実績を出せない自分を受け入れることができず、向き不向きの理由になんとか結びつけて、自分を保っていたのでした。

そんな状態で1年が過ぎ、営業という形は保っていたものの、内容はほとんど変わらず、自分の中のモチベーションはゼロに近い状態でした。

朝、支店へ顔を出し、前日の日報を書いて提出し、「いってきます。」といって会社を出て、すぐに行きつけの喫茶店(古い)へ行って時間をつぶす。

昼前ごろに得意先に顔を出し、いつものように製品の説明をして、同じように3,4軒回って、夜は直帰。

「あー、今日も全く仕事の実感がなかった。」

こんな毎日でした。

「この仕事やめた後はどうしようか」

常にそんなことを考えている毎日でした。

そんな自分に、人生の転機と言えるようなことが起こりました。

いつものように、朝会社を出て、行きつけの喫茶店へ行って、タバコ(今はもうやめてます)を吸っていました。

「はー、今日も疲れるなあ。」

そこへ、中の良かった先輩がやってきました。

先輩は私の前に座り、言いました。

「どうした。最近元気ないな。」

「元気ないっすよ。もう全くやる気ないっす。」

その先輩には、自分の思いや考えをよく話し、また先輩もよく話を聞いてくれましたので、そのときの自分の思いを全部吐き出してしまいました。

「やる気ないっす。だいたい、会社がやれっていうからやっているのに、全然反応ないですよ。
引き継いでもらった先輩たちに言われた通り、この病院ではこの先生、この病院ではこの先生に中心的に話をする。
大事な先生にはいつも顔を出して覚えてもらう。
あの先生の趣味はこれだから、この話をするといい。
この病院は夜行ってはいけない。訪問規制があるから。破ると出入り禁止だ。
全てやることやっているのにどうして実績でないんですか。
もうやるべきことないですよ。
どうしたらいいか全く分かりません。」

気が付くと、先輩の話など聞かずに、ここぞとばかりに、だーっと話していました。

私が話尽くして、少しの間、沈黙が流れました。

そして、先輩が言いました。

「そうか。苦労してんだな。
でも、お前の言うことはよく分かるよ。
俺も新人のときは同じような思いしたからな。」

先輩は私の気持ちを受け止めてくれました。

そして、先輩が言った次の言葉で、私の人生が変わったのでした。

「でもな、お前、本当に自分のやりたいことやっているのか?」

えっ、何の話?

最初聞いたとき、全く意味が理解できませんでした。

やりたいこと?

営業なんてやりたくないし、つまり、営業やめろってこと?

先輩の言葉は、自分の胸に突き刺さったのでした。

次回につづく。

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ちょっといい自分を創るコツ(20)「相手に与える印象」

こんにちは、くらです。

新入社員研修でのことです。

今年の新入社員(営業職)の中に、
ほとんど笑顔がない女性がいました。

話をするときも、
目を逸らさず、
きっ、
と相手をにらむような印象を与えます。

他の新入社員と比べて、
どうしても態度が硬い。

周りの先輩たちからも、
あの子は営業は向いてないんじゃ、
という声が入ってきます。

あるとき、
新入社員を対象に、
「傾聴とは」という話をしました。

すると、
例の笑顔がほとんどない新人女性が、
食い入るように、
私の話を聞いているのです。

ラ・ポールの話から、
実際の傾聴の実践まで、
1日の講義が終了したとき、
その彼女が私に言いました。

彼女の話は大体以下のようでした。

自分は人と話すとき、
知り合いから以前、
お前は態度が砕けすぎだ、
と言われたことがあり、
それがとてもショックだった。

なので、
人と話すときは、
なるべく笑わないで、
真剣に話を聞くようにしている。

でも、
今日の話で、
人と心を通い合わすには、
笑顔がとても大事だ、
ということが分かり、
なんだかとってもほっとしてます。

それ以降、
彼女は普段からよく笑うようになり、
人に与える印象も、
それ以前とは全く異なり、
とても明るくなりました。

今現在、
営業として顧客に接していますが、
彼女の上司から話を聞いたところ、
顧客からの受け入れもよく、
とても元気に仕事をしているそうです。

自分が他人に与える印象は、
自分ではなかなか分からないものです。

相手の反応を見ても、
それはその相手の人自身の性格あるいは、
その人の反応のスタイルかも知れませんし、
もしかしたら、
あなたへの受け入れや警戒心から出たものかもしれません。

ただ、
自分自身の印象はなかなか分からないかもしれませんが、
自分で分かることもあります。

相手が自分のことをどう思っているか、
ではなく、
自分が相手をどう思っているか、
です。

自分の投げかけたものは自分に返ってくる、
とよく言われますが、
相手をよく思っていない気持ちを投げかけると、
相手からも自分に、
そのままのネガティブな気持ちが返って来る、
ということを、
私は自分が営業をしているときに、
いやというほど経験しております。

もちろん、
状況によって様々な違いはあると思いますが、
相手の態度によって、
自分の気持ちや印象を振り返ってみる、
ということを意識してみることも、
ときには大切だと思います。

ちょっと内気なリーダーのアドリブ力-「ちょっといい自分を知る(その7)「今の自分を受け止める」」

こんにちは、くらです。

「ちょっといい自分」とは、

「得意なこと、できること、
 などの能力・スキルに限らず、
 性格や価値観、考え方、感じ方、行動の仕方など、
 普段自分では気づいていない、
 もしかしたら自分では取るに足らないと思っている部分を含めて、
 本当は自分にとっては掛け買いのない宝のような自分」

のことをここでは意味します。

人は、
一人ひとり皆違います。

ということを、
頭では分かっていても、
私たちは世間のものさしで、
思考や行動を左右されることが、
結構多いのではないでしょうか。

人と自分とは違う、
といいながら、
なぜあいつばかりほめられるんだろう、
なぜあいつが自分より先に出世するんだろう、
なぜあいつが自分より収入がいいんだろう、
なぜあいつが自分より大きい家に住んでいるんだろう、
なぜあいつが自分よりもてるんだろう、
なぜあいつが自分より・・・・・・

と、身近な人と自分を引き比べることを、
我々はついやってしまうことが多いのではないでしょうか。

我々は、
小さい頃から、
競争の世界で生きています。

生まれたときは、
親は赤ちゃんの顔を見て、
五体満足で、
この子なりに幸せになってくれたら、
もうそれで十分、
と思うのです。

が、
大きくなるにつれ、
やってはいけないこと、
やらねばならないこと、
それは全てあなたのためなのよ、
といわれて、
毎日毎日、
ありとあらゆる規制や、
約束事、価値観、行動を植えつけられていきます。

これはもちろん、
決して悪いことばかりではありません。

むしろ、
安全・安心の人生を生きるためには、
必要なことも多々あるからです。

でも、
安全・安心を求める心が、
過剰に強くなってしまうと、
新しいことに進んで挑戦することや、
興味がある世界に入っていくことなど、
自分がやりたいことができても、
なかなか一歩が踏み出せなくなることも、
人によっては起こってくることがあると思います。

それは、
安全・安心の反対にある、
危険・恐怖から自分を守る、
人間の本能だと思います。

我々は、
自分を理解することで、
他人を理解し、
世界を受け止めることができます。

まず大切なことは、
自分自身の今を、
受け止めることから始めていくことが、
次への一歩につながるのです。

ちょっといい自分を知る(その7)
・・・・・「今の自分を受け止める」

ちょっと内気なリーダーのアドリブ力-「ちょっといい自分を知る(その6)「遺伝子をオンにする」」

こんにちは、くらです。

「ちょっといい自分」とは、

「得意なこと、できること、
 などの能力・スキルに限らず、
 性格や価値観、考え方、感じ方、行動の仕方など、
 普段自分では気づいていない、
 もしかしたら自分では取るに足らないと思っている部分を含めて、
 本当は自分にとっては掛け買いのない宝のような自分」

のことをここでは意味します。

前回
元サッカー全日本代表監督の、
岡田さんのインタビュー記事を紹介しました。。

同じ記事に、
インタビュー相手の筑波大学教授、
村上和雄さんのお話がのってます。

(月刊「致知 2015年9月号」より)

「人間は、
 どん底にまで落ちたような時にも、
 遺伝子のスイッチが入るのだと思いますね。

 私はよく言うのですが、
 人間の体は六十兆もの細胞からできてます。

 細胞一個つくれない人間が、
 これだけの細胞を持って生きているのは、
 実に奇跡的なことなんです。

 成績がいいとか悪いとかは誤差の範囲なんですね。

 ギリギリの状態にある時にこそ、
 生かされているだけでありがたい、
 とそのことに気づかされるんです。

 その瞬間、
 遺伝子はオンになる。」

もうだめだ、
無理だ、
耐えられない、
という逆境こそ、
遺伝子をオンにする、
大きなチャンス、
と、
対談相手の岡田さんも仰ってます。

これを、
精神論、
根性論と、
一笑してしてしまうこともできるかもしれませんが、
科学で証明できないことを、
ある部分、
否定してしまうことになると思うからです。

それは、
人間の存在そのものを、
一笑してしまうのと、
同じことになるのではないか。

なぜなら、
遺伝子がオンになる事実を、
どう説明したらいいか、
まだ、
われわれ人間には、
回答ができないのです。

そもそも、
なぜ遺伝子などがあるのか、
人間が存在するのか、
なども、
考えてみると、
奇跡としか思えないのが、
一つの事実かもしれません。

だとしたら、
どんなに逆境でも、
状態が自分にとって好ましくなくても、
それを乗り越えた人間が、
過去にこれだけたくさんいる、
という事実を証明する一つの手段として、
遺伝子をオンにする、
ということを考えたとき、
ひょっとすると、
私のような凡人でも、
きっと可能だろうと、
単純に思ってしまうことが、
結構自分にとって、
とても大切なような気がします。

内気な人間は、
どうしても、
不安を抱える方向へ、
思考が走ってしまいます。

それを自分で認識したときに、
きっと、
自分の小さな小さな、
前向きの遺伝子が、
オンになるのではないか、
そう信じて、
一歩一歩、
前へ進んでいったらいいのではないか、
それが、
ちょっといい自分を作る、
とても簡単で、
でも意識しないとなかなかできない、
一つの重要な方法だと思います。

ちょっといい自分を知る(その6)
・・・・・「遺伝子をオンにする」

ちょっと内気なリーダーのアドリブ力-「ちょっといい自分を知る(その5)「開き直る」」

こんにちは、くらです。

しつこいようですが、
「ちょっといい自分」とは、

「得意なこと、できること、などの能力・スキルに限らず、
 性格や価値観、考え方、感じ方、行動の仕方など、
 普段自分では気づいていない、
 もしかしたら自分では取るに足らないと思っている部分を含めて、
 本当は自分にとっては掛け替えのない宝のような自分のこと」

と、ここでは定義しております。

自分では無理だ、
そんな力はない、
と先へ一歩も進めないような状況になったとき、
この「ちょっといい自分」が現れると、
人生がどんなにすばらしくなるか、
と思うのですが、
現実はそんなに簡単ではないですね。

でも、
きっとどこかに、
先へ進むことができる道はあるはずなのです。

元サッカー全日本代表監督の、
岡田さんのインタビュー記事を読みました。

(月刊「致知 2015年9月号」より)

岡田さんは、
1998年のW杯予選の途中、
加茂周(かもしゅう)さんの更迭で、
いきなり監督に選ばれました。

当時岡田さんは41歳。

コーチは経験してましたが、
監督の経験はゼロ。

ものすごいプレッシャーで、
成績が振るわなかった時、
「こんなやつが監督で勝てるはずがない」と、
バッシングも大変だったそうです。

自宅は脅迫電話が鳴り止まず、
最悪のときは家の前を24時間、
パトカーが守っていたそうです。

本戦出場を賭けた、
最後のチャンスとなったジョホールバルの試合の前、

「もし勝てなかったら俺は日本に帰らない。
 海外に住むからな」

と、
奥さんに電話していたそうです。

でも、
そのとき、
ふと思ったそうです。

「日本のサッカーが俺の肩にかかっている?
 
 それを俺だけで背負えるわけがない。

 もちろん、
 明日のイラン戦はすべてを出して命懸けで戦う。

 だが、
 それが駄目でも俺の責任じゃない。

 俺を選んだ会長の責任だ」(笑)

そう思った途端、
完全に開き直って、
怖いものがなくなったそうです。

そして、
日本代表チームは予選の決勝で勝利し、
初めて、
W杯への切符を手にしたのでした。

岡田さんは、

「人間は誰でも素晴らしい遺伝子を持っている。

 そこにスイッチを入れられるかどうかだ」

と仰ってます。

「どん底にあっても、
 その人がどういうメンタリティを持っているかで、
 その壁を乗り越えられる。

 でも、
 乗り越えられないよう、
 自分で壁をつくって苦しんでいる人がとても多い。

 ダメだ、
 無理だ、
 もう耐えられない。

 そんな時こそ遺伝子おオンにする大きなチャンスなんです」

そして、
その遺伝子にスイッチを入れるのは、
自分自身でしかない。

そのスイッチを入れるには、
今までの生活を繰り返している自分では、
なかなか難しいような気がします。

岡田さんのように、
いい意味で開き直り、
「すべてを出して命懸けで」
目の前のことに取り組む、
というメンタリティが必要だと感じます。

ちょっといい自分を知る(その5)
・・・いい意味で「開き直る」

ちょっと内気なリーダーのアドリブ力-「ちょっといい自分を知る(その4)「現状を受け止める」」

こんにちは、くらです。

「ちょっといい自分」とは、

「得意なこと、できること、
 などの能力・スキルに限らず、
 性格や価値観、考え方、感じ方、行動の仕方など、
 普段自分では気づいていない、
 もしかしたら自分では取るに足らないと思っている部分を含めて、
 本当は自分にとっては掛け買いのない宝のような自分」

のことをここでは意味します。

前回の続きです。

今、目の前のこと、
そのことに集中する、
ということを前回お話しました。

人間は、
生きていると、
どうしても周りが気になります。

特に、
内気な人にとっては、
周囲の目は気になります。

自分がやっていることはどうなのか、
受け入れられるのか、
ばかにされるのか、
こんなことしたら、
もう相手にされないのでは、
今までの関係が壊れるかも、
など、
どうしても他人の目が気になります。

人の評価が怖い、
これは、
人の評価など全く気にしない人、
多少は気になっても、
自分のやりたいことを、
難なくできる人にとってはあまり理解できない、
内気な人間の共通点かもしれません。

私は、
他人の目が気になることを、
否定する必要はないと思ってます。

性格的に、
もしくは生育的に、
そのように育った環境に原因があるかもしれませんし、
長い間身につけていることを、
人はそんな簡単に手放すことはできないと思います。

ならばどうするか。

人の目を気にする自分を、
「ああ、気にしてるな」と気づきながら、
それでも目の前のことに、
できれば楽しんで、
集中してみませんか、
ということなのです。

内気な人は、
人の目を気にする分、
一度のめり込んだら、
とことんやってみる、
という方も多い気がします。

人の目を気にする、
ということは、
完璧主義とまではいわなくても、
ある程度、
レベルの高いことを、
自分自身に求めているということです。

特に、
自分の好きなことなら、
いい加減なレベルでは、
内気な人はきっと、
納得できないことが多いと思います。

ならば、
とりあえず、
人の目を気にしながら、
目の前のことを、
楽しみながらできる方法を、
自分なりに考えて、
やっていければ、
こんなにすばらしいことはないですよね。

方法の一つは、
自分なりのレベル、
つまり、
目標を設定すること、
これは、
ちょっといい自分を知る(その1)
でお話したことです。

そして、
次に必要なのが、
現状を受け止める、
ということです。

今の自分の現状と、
自分が目指したい目標と、
いったいどれくらい差があるのか、
自分で見極めるためにも、
まず、
自分の現状を、
そのまま、
あるがままに受け止めてみることを、
是非意識してみてください。

ちょっといい自分を知る(その4)
・・・「現状を受け止める」

ちょっと内気なリーダーのアドリブ力-「ちょっといい自分を知る(その2)「目標を持つ」」

こんにちは、くらです。

「ちょっといい自分」とは、

「得意なこと、できること、
 などの能力・スキルに限らず、
 性格や価値観、考え方、感じ方、行動の仕方など、
 普段自分では気づいていない、
 もしかしたら自分では取るに足らないと思っている部分を含めて、
 本当は自分にとっては掛け買いのない宝のような自分」

のことをここでは意味します。

前回、
アドリブ力について、
こう書きました。

「アドリブ力とは、
 あることに打ち込むことで、
 新たに開花される、
 自分でも気づかなかった、
 自分の道を切り開いていく力なのです。」

ここで大事なことは、
「あることに打ち込む」、
ということです。

人はそれぞれ、
自分の得意分野を持っていて、
それを高めることができたら、
そしてそれが人の役に立つとしたら、
この世界は、
もっともっとすばらしい世界になっていくでしょう。

ただし、
人の役に立つかどうかは、
最初から分かることもあれば、
最初は全然役に立つかどうか、
思いもしないことも結構あるのではと思います。

自分の得意分野だからこそ、
自分自身が損得抜きで、
打ち込み高めることができるので、
初めは人の役に立つかどうかは、
ひとまずおいておきましょう。

自分なりに極めたとき、
きっとそれは、
あなたの世界を切り開いていく、
大きな力になると、
信じて自分を磨いていきましょう。

自分なりに、
自分の世界を極めようとするとき、
前回(ちょっといい自分を知る(その1))、
「目標を持ち、そのギャップを埋める」
いう話がありました。

自分を磨こうと思えば、
必ず自分のありたい姿が浮かぶはずです。

具体的に浮かばないなら、
そこへのステップとして、
自分で決めるのです。

それは、
どんなに小さなステップでもいいのです。

例えば、
プレゼンテーションを極めたい、
と思えば、
そこへの小さなステップとして、
まず、
「プレゼンテーションの目的」
を明確にする癖をつけよう、
でもいいのです。

「プレゼンテーションの目的」として、
「相手の問題を明確にして提示する」、
そのために、
「相手の情報を色々な角度から収集する」、
など、
更に細かいステップが生まれます。

これは人によって、
それこそ様々です。

ギターを弾きたい、
と思った人は、
自分が今どのくらいのレベルか、
を自分なりに判断し、

「よし、
 1曲完全に伴奏できるように、
 コードを全部覚えて弾けるようにしよう」

と決めるなど、
そのときの自分のレベルで、
自分なりの目標を決めるのです。

自分のやりたいことで、
まずこの目標を決める練習をしてみましょう。

ちょっといい自分を知る(その2)
・・・「目標を持つ」

ちょっと内気なリーダーのアドリブ力-「ちょっといい自分を知る(その3)「今自分の目の前のことに全力を捧げる」」

こんにちは、くらです。

「ちょっといい自分」とは、

「得意なこと、できること、
 などの能力・スキルに限らず、
 性格や価値観、考え方、感じ方、行動の仕方など、
 普段自分では気づいていない、
 もしかしたら自分では取るに足らないと思っている部分を含めて、
 本当は自分にとっては掛け買いのない宝のような自分」

のことをここでは意味します。

前回、
「アドリブ力とは、
 あることに打ち込むことで、
 新たに開花される、
 自分でも気づかなかった、
 自分の道を切り開いていく力なのです。」

そして、

ここで大事なことは、
「あることに打ち込む」、
ということです。

ということをお話しました。

自分でも気づかなかった、
自分の道を切り開いていく力、
この力を開花させるためには、
「あることに打ち込む」こと、
それは好きなことであったり、
得意なことであったりするのですが、
なによりも重要なことがあるのです。

それは、
「今自分の目の前のことに全力を捧げる」、
ということです。

自分でも気づかない自分のすばらしい力は、
今の自分では分からない力です。

それに気づくには、
好きなことや得意なことに、
集中して掘り下げることは、
とても大切なことです。

でも、
自分でも分からない、
自分の可能性を開花させるには、
自分が思ってもいないことや、
あまり好きでも得でもないことに、
もしかしたら、
大きな可能性があるかもしれません。

ですので、
今目の前のことが、
好きで、得意ならば結構なのですが、
好きでも得意でもないことなら、
余計に自分の可能性が広がることが、
大いに期待できるのかもしれないのです。

それは、
仕事であったり、
勉強であったり、
そのほかにも、
やらねばならないことであったり、
色々なことがあると考えられますが、
まず、
今の自分にできるだけのことを、
目の前のことに集中して、
実践してみることが、
自分の可能性を広げることになるのです。

「今自分の目の前のことに全力を捧げる」例として、
ちょっといいお話Vol.3で、
神津カンナさんのお話を紹介しました。

このお話の中で、
カンナさんのお父さん、
作曲家の神津善行氏が、
カンナさんに言った言葉があります。

「才能がある人なんて、何万人に一人しかいない。
 才能の無い人は、自分で才能を作るしかない。
 才能というのは、本人が才能をつくる気があるかないかで決まってくる。」

どれだけ自分を磨くために努力したのか、
それがその人の才能になる、
つまり、
これこそ、
「今自分の目の前のことに全力を捧げる」
ということではないでしょうか。

才能がない、
という言葉は、
その場から逃げるための弁解でしかない、
という厳しさを突きつけます。

と同時に、
自分で才能を作るためのその苦しい努力から生まれる、
自分自身の力を夢見させてくれます。

ちょっといい自分を知る(その3)
・・・「今自分の目の前のことに全力を捧げる」