「今日のちょっといいお話」カテゴリーアーカイブ

自分を磨く!今日のちょっといいお話(その303)「競争と優越性」

こんにちは、くらです。

上手にできなくても、好きなら続けることができます。

私の場合、ギターはそのいい例だと思いますが、でも、好きなら続け、そして更に上に行きたいと思います。

日々練習していても、進歩はほとんど見られないような気がしますが、それでも、少しずつ、今までできなかったことが出来るようになると、楽しく、嬉しいものです。

仕事をしていても、自分が上を目指しているときは楽しいのですが、これが他者との競争となると、途端に楽しさが無くなります。

それが組織で生きることなのだと、ずっと思っていました。

「人は無力な存在としてこの世に生を受けます。

そしてその無力な状態から脱したいと願う、普遍的な欲求を持っています。

アドラーはこれを『優越性の追求』と呼びました。

(中略)

『優越性の追求』というと、他者より優れていようとする欲求、他者を蹴落としてまで上に昇ろうとする欲求のように思われがちです。

人々を押しのけながら階段をのぼっていくようなイメージですね。

もちろんアドラーはそんな態度を肯定しているのではありません。

そうではなく、同じ平らな地平に、前を進んでいる人もいれば、その後ろを進んでいる人もいる。

そんな姿をイメージしてください。

進んできた距離や歩くスピードはそれぞれ違うけれども、みんな等しく平らな場所を歩んでいる。

『優越性の追求』とは、自らの足を一歩前に踏み出す意思であって、他者よりも上をめざさんとする競争の意思ではありません。」

(『嫌われる勇気』岸見一郎、有賀史健(ダイヤモンド社)より引用)


無力な自分から、更に上へ行きたいという欲求は、普遍的なもの。

ならば、周りの優れた人や能力、才能に満ち溢れた人がいても、自分を卑下する必要はない。

それらの人たちも、最初はきっと無力な一個人であり、自分を伸ばしてきた先人として、手本を示してくれている。

その人たちと同じ道を進むことは難しいかもしれない。

なぜならば、それは、その人達自身が、自分なりに試行錯誤して作った道だから。

ならば、自分でも自分なりに道を作れるのかもしれない。

すごい人たちは、あくまでも、道を作った先例であり、そのまま踏襲し、守るべき存在ではなく、自分を押し上げてくれる勇気を与えてくれる存在である。

そんなことを感じました。

今回もお読みいただきありがとうございました。

自分を磨く!今日のちょっといいお話(その302)「内向型人間の底力」

こんにちは、くらです。

教育という仕事を長くやっていたので、今では人前で話すのは苦でなくなりましたが、若いころは人前に立つだけで、足はガクガク、声は震え、頭は真っ白顔真っ赤、という位内向型の人間でした。

友達ともいつも少人数で付き合い、自分の仲の良い友達同士は、大抵打ち解けない位、違うタイプの友達がいました。

こんな人間でも就職、結婚、定年まで務められたのは、自分ながらすごいことだと思っておりますが、私などは比較にならない位内向型の人で、コンサルタント、多数の著書を書いて成功した人がいらっしゃいます。

本多信一さんという方です。

どの位内向型の人かというと、中央大学法学部入学するもその内向型の性格のため4年間ほぼ通学せず。

しかし、主任教授のお陰で卒業試験になんとか合格し卒業。国家公務員試験に大学2年で合格、法務省・東京地方検察庁に面接にいくも、人を裁く大元締めの役所を歩いてみて、自分には向いてないと採用方を辞退。

大学4年で東京都庁の「大卒程度」(今のI種)に合格したが、当時の有楽町庁舎は狭いところに人々がひしめき「激烈なる競争の場」と映ったため、人混みダメ人間で競争嫌いの自分なので入庁意思確認の日に「入りません」と断る。

この方は、若いころ尿道がんの手術を受けたとき、「これで人生は終わった。もし命が助かったら無料職業相談業をやればいい!それが天職だから」と天啓のような閃きを得たそうです。

そして、30歳から無料相談業にはいった。

もともと職業に関する関心が強かったので、中小企業診断士としてコラムなどに投稿していたら、その切り口が認められ、雑誌の連載を任されたりし、その後も、大企業のコンサルタントとして相談を受けていたけれど、食べるためだけの目的だったので、それほど執着せず、メインの無料相談をずっとされていたようです。

そこで出会った数多くの内向型の人たちの悩み、苦悩、不安を聞き、様々な本にされています。

よく質問されるのが、学校や会社でダメ人間だったと本で告白されているあなたが、よくコンサルタントなんて会社相手の仕事ができますね、ということだそうです。

それに対して本多さんは本に書いていらっしゃいます。

(以下本文)

「ええ。自分でもそう思ってますが、でもよく考えてみると、ほら、私たち内向型って”ひとりコツコツ派”でしょう?

経営コンサルタントって、原則はひとりでクライアント企業の経営改善をする仕事なので、案外合っているんですよ。

会社員はワン・オブ・ゼムでしょう?

でもコンサルタントは一対千、一対全社員という形で仕事をします。

ですから会社員がダメでも経営コンサルタントはできるということです」

(『「内気」だから成功できる』本多信一(PHP)より参考・引用)


自分に何が合っていて、それを踏まえて何が天職なのか、それは世間の常識から外れているかもしれませんが、自分で切り開いていく道なのでしょう。

今回もお読みいただきありがとうございました。

自分を磨く!今日のちょっといいお話(その301)「アドリブは流れで考える」

こんにちは、くらです。

ジャズのアドリブを勉強しておりますが、なかなかうまくいきません。

どうしても、コードのサウンドに対して、合う音を探してしまうのと、使えるフレーズを考えてしまう。

つまり、音楽をやっているのではなく、音合わせスキルみたいな感じで、楽しくないのです。

そこで色々な本を探して読んでいるのですが、面白い文章を見つけました。


「殆どの人の目標は”自由にアドリブやバッキングが出来るようになる””みんなで楽しく演奏出来るようになる”ことだと思います。

外国へ行って、その国の人達と自由に会話したり友達になったり、そういうことですよね。

目的に合った練習方法を選択することがとても大切です。

外国人に日本語を教えることをイメージしてください。

ジャズもそれと同じように練習していけばいいと思います。

(中略)

”目からウロコ流”では、コード単体で考えるのではなく、幾つかのコードが連なった”コード進行の流れ”に対応する”フレーズ”を練習していきます。

コード進行を読んで(意味を理解して)フレーズを選択する技を身に付けていきます。

買い物をしたり家賃を払いに行ったり、生活するのに最低限必要なフレーズを憶えて、取り敢えずその街で暮らしてみる。

そのうちに少しずつフレーズが増えて、買い物で値切ったり、床屋で希望の髪型を伝えたり、医者に身体の状態を説明したり出来るようになっていきます。

フレーズは、”便利な道具”と思ってください。

『暑いときはエアコンのスイッチを入れると快適になる』。

リモコンの各種機能を状況に合わせて使いこなすことが出来れば、より快適になります。

日常生活ではこのくらい知っていれば十分で、”なぜ冷えるか”まで知る必要は殆どありません。

もし興味があればあとから調べることが出来ます。

スケールや詳しい理論の勉強は、取り敢えず知らなくても大丈夫なことです。」

(『入門 目からウロコのジャズ・ギター』菅野義孝(シンコー・ミュージック)より引用)


まず、サウンドに対する基本的な言葉(フレーズ)を憶えて、実践できるようになる。

とても分かりやすいし、実践しやすい方法です。

一生懸命スケールやコードを勉強しても、そう簡単にはアドリブが出来るようにはならない。

仕事でも、プレゼンの台詞を全部覚えても、一度つまずくと頭が真っ白になります。

質問されたりしても、慣れないとあたふたしてしまいます。

まず、言いたいことのポイントだけ抑えることをしておけば、その場その場の自分の言葉で話すことができるようになる。

アドリブは、結局、刹那に生まれてくる自分の言葉で対応することだと思います。

今回もお読みいただきありがとうございました。

自分を磨く!今日のちょっといいお話(その300)「制約からの創造性」

こんにちは、くらです。

先日、TVで松任谷正隆さんの特集を放送していました。知る人ぞ知る、ユーミン、松任谷由実さんの旦那さんです。

ユーミンの曲のアレンジは、どのような形で行われるのか。

他のゲストから興味深い質問がどんどん投げかけられます。

面白かったのは、「この曲のこの部分のコードはどうやって出てきたのか。

普通はこういう流れでこういうコードは出てこない」という、プロのアレンジメントをしている方からの質問に対して、松任谷さんの答えはは、「わかんない」。

ここはこんな感じ。

だからこんな音。

ユーミンが、コード進行に悩んでいる時、「こんな感じでしょ?」とピアノを弾くと、「そうなんだけど」と決着する。

天才同士のやり取りが想像できて、とてもワクワクしました。

旦那さんによると、ユーミンは、一度悩み始めると、ずっとスタジオにこもるそうです。

生まれるまでがとても長い。

制約があればあるほど、創造性が高まる。


「制約は必ずしも悪いことではありません。

制約があることで、潜在能力やクリエイティブな力にスイッチが入ります。

(中略)

ある年、リンゴ園を大きな台風が直撃しました。

天塩にかけて育てたリンゴの多くは樹から落ちてしまい、残っていたリンゴにも傷がついてしまいました。

通常であれば、傷がついた商品を買ってもらうことはできません。

この状況に陥ったリンゴ農家は、ここで『だからこそ』と考えました。

『台風で傷がついたリンゴだからこそ、販売できないだろうか』

一見、無茶苦茶な理屈に聞こえますが、それは先入観に過ぎない可能性があります。

結論として、このリンゴには注文が殺到します。

台風が来ても落ちなかったリンゴ。

『落ちない』縁起物として全国の受験生を持つ家庭から注文が来たのです。」

(『ひらめきはスキルである』瀬田宗仁(総合法令)より引用)


制約は創造性を高める。

でも、それは、その制約で、諦めずに考え抜いたことで得られるもの。

アートにしても、商売にしても、壁があって、とことん苦しみ抜いて、初めて得られる糧がある、と感じます。

今回もお読みいただきありがとうございました。

自分を磨く!今日のちょっといいお話(その299)「能力を伸ばす条件」

こんにちは、くらです。

能力の高い人を見ると、羨望と嫉妬、そして諦めなどの感情が湧き上がってきます。

しばらくすると、人は人、自分は自分だ、という考え方をしている自分に気づきます。

要するに、あまり深く考えていない、お気楽な性格なのだと思います。

お気楽なので、ここまで何とかやってこれたのだと、自分をほめてやりたくなります。

でも、やはり、能力のなさに傷つくことも、未だにあります。

傷つくのは、人の評価を必要以上に期待しているのかもしれません。

それが無くなっても、また問題だと思います。


「われわれが反対しなければならないのは、自分自身への関心だけで動く人である。

この態度は、個人と集団の進歩にとって、考えられるもっとも大きな障害である。

どんなものであれ、人間の能力が発達するのは、仲間の人間に関心を持つことによってだけである。

話すこと、読むこと、書くことは、すべて他者との結びつきを前提としている。言葉それ自体が、人類すべてに共通している。

それは共同体感覚の産物である。理解は、私的ではなく、共有する機能である。

理解するということは、他のすべての人が共有することをわれわれが期待する仕方で把握することである。

それは、共有された媒介を通じて、われわれ自身を他者と結びつけ、すべての人類共通の経験に従うことである。

もっぱら自分自身の利害を追及し、個人的な優越性を追求する人がいる。

彼らは人生に私的な意味づけをする。

彼らの見方では、人生はただ自分自身の利益のために存在するべきである。

しかし、これは共有された理解ではない。

それは全世界の他の誰もが共有しそうにない考えである。

それゆえ、われわれはこのような人が他の仲間と関わることができないのを見る。

しばしば、自己中心的であるように育てられてきた子どもを見ると、そのような子どもが顔にしょんぼりした、あるいは、うつろな表情を浮かべているのを見る。

そして、犯罪者や精神病の人の顔に見られるのと同じような何かを見ることができる。

彼らは他の人と関わるために目を使わないのである。

彼らは他の人と同じ仕方で世界を見ない。

時にはこのような子どもたちや大人は、仲間の人間を見ようとはしない。

目を逸らし、別の方をみるのである。」

(『人生の意味の心理学』アルフレッド・アドラー(アルテ)より引用)


人と何かを共有するには、その人の目を見て、言葉を聞いて、そして、先へ一緒に進むことができる。

人に関心を持たない人は、自分のことしか考えない。

以前、自己中心の自己不在、という言葉を聞いたことがあります。

人の自分への関心しか関心を持たない。

それは、結局、自分というものが無くなってしまうということ。

人の眼を気にしすぎることなく、人の関心に関心を寄せていくことが、結局は自分を助け、自分の能力を伸ばす基礎になるのではないか、と感じます。

今回もお読みいただきありがとうございました。

自分を磨く!今日のちょっといいお話(その297)「色彩の狂演」

こんにちは、くらです。

中学3年の夏、渋谷の100円映画館で、ビートルズの3本立て映画を観ました。

「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」「ヘルプ」「イエローサブマリン」の3本です。

当時、一度入れば何度でも観てもよい、というルールでした。

ですので、朝入って、夕方までずっと映画館の中にいて、何度も繰り返し観たのでした。

そして、その時観たアニメーション「イエローサブマリン」の色彩に衝撃を受けたのでした。

その頃テレビや映画で見たアニメとは全く違う絵と色彩で、初めて観たときは感動で体が動かなくなった感じでした。

特に、ジョン・レノンの「Lucy In The Sky With Diamonds」という曲の場面は、今見ても震えが来ます。

この曲については色々エピソードがあります。

「1967年のある日の午後、ジュリアン・レノンがクラス・メイトの女の子、ルーシー・オドンネルを描いたという画を持って保育園から戻ってきた。

ジョンに何の画か聞かれたジュリアンは『ダイアモンドを持ってお空に浮かんでいるルーシーの画だ』と答えた。

『これはいい!』と思ったジョンはすぐに曲を書き始めた。

イメージは『不思議の国のアリス』だった。

モデルになったルーシー・オドンネルは13歳になるまで、自分がビートルズの曲によって不滅の存在になったことを知らなかった。」

(『真実のビートルズ・サウンド[完全版]』川瀬泰雄(株式会社リットーミュージック)より引用)


ちょうどビートルズにはまっていた頃でしたので、より感激が大きかったのだと思います。

今「イエローサブマリン」のDVDを観ても、最初観たときと同じような感激を感じます。

デジタルなんて言葉も何もなかったあの時代に、どうやってあんな映画をつくれたのか、と、技術に全く知識がないことも重なって思ってしまいます。

先日六本木のソニー・ミュージアムにジョンとヨーコの「DOUBLE FANTASY」を観てきました。

二人のアーティストの生き様を見て、改めて本当にすごい人たちだと感じました。

芸術的な才能ももちろんすごいのですが、二人が経験した、弱さ、怒り、諦め、など、人間の本音を包み隠さず生きてきたんだな、と思いました。

ビートルズの映画「Get Back」、早く見たい!

今回もお読みいただきありがとうございました。

自分を磨く!今日のちょっといいお話(その296)「肥満とドーパミン」

こんにちは、くらです。

最近体重が高い方の定常状態になっております。

寒くなってくると、熱量を増やすために脂肪を貯めるのだろうと、自分に納得のいく言い訳をしております(笑)。

肥満はドーパミンと関係している、という研究があります。

ドーパミンは中枢神経の神経伝達物質で、やる気、幸福感、など、快感をもたらす物質とされています。

この物質が、標的の脳組織、側坐核、偏桃体、などに放出されると、そのときの経験が快いと感じられます。

この快い体験に先立つ(あるいは伴う)感覚や行動が手掛かりとして記憶され、ポジティブな感情に関連付けられるとされています。

ということは、食べるという行為はやはり、快感に結びつけられると考えられますが、反対に食べることが快感でないなら、きっと肥満はないのかも知れません。

「食べ物も薬物も、脳の快感回路の同じ領域を活性化させる。

食べ物と薬物に、行動上影響し合う部分があることはよく知られているが、これも脳の回路の共用に起因する可能性が高い。

たとえばラットを飢えた状態にすると、コカインやアンフェタミンなどの依存性薬物や、内側全脳束への直接的電気刺激を求める傾向が強まる(快感を得るためにレバーを押す頻度が高くなり、時間も長くなる)。

(中略)

実際、側坐核のドーパミンレベルを測定すると、肥満しやすいラットではベースラインのドーパミンレベルもVTA(腹側被蓋野:脳の組織)の電気刺激によるドーパミンレベルの上昇も、どちらも有意に低いことがわかった。

(中略)

これらの結果は、肥満しやすいラットは、肥満しにくいラットが少量の餌で得るのと同じ快感レベルを得るために、多くの餌を食べる必要があるという仮説を支持する。」

(『快感回路』デイヴィッド・J・リンデン(河出書房新社)より引用)


快感を感じるまで食べる、とラットの実験がそういっている。

人とラットは違うだろう、という意見もあるでしょう。

ただ、ドーパミンレベルという物質レベルの話になると、きっと人でも同じことが言えるのだろうと感じます。

ドーパミンを十分得られないと、人は依存症になる可能性がある。

食べ物だけではなく、自分が何に依存しているのか、自分で気が付く必要があると感じます。

気をつけねば。

今回もお読みいただきありがとうございました。

自分を磨く!今日のちょっといいお話(その295)「成功のヒント」

こんにちは、くらです。

アドリブは咄嗟の対応。

その力を養うには、ひらめきが必要です。

常に、見て、聞いて、触れて、読んで、話して、といった、アンテナを広げて、アイデアをつかみ、そして、実行できるようにする。

過去の成功者たちも、このひらめきが優れていた人がたくさんいたと感じます。

ダンロップ・タイヤという世界的企業を創始したジョン・ボイド・ダンロップもその一人。

アメリカの田舎に住んでいたダンロップは、子供が学校へ行く自転車を見て気が付いた。

当時の自転車の車輪はただの鉄の輪で、乗り心地が悪く、ガタガタと音がした。

あるとき、自転車に乗ろうとする子供を呼び止め、父親はゴムホースを持ってきて、自転車の車輪の回りに巻き付けて、針金で外れないようにした。

子供は喜んで、その自転車に乗っていった。

この父親がジョン・ボイド・ダンロップだった。

「ちょっとしたアイディアをよく見つめ、よく考えてみる。そこに大きな成功が待ち構えているのである。

ダンロップといえば、戦前、私の家で使っていたリヤカーのタイヤはダンロップ製であった。

日本のタイヤ会社のものもあったが、ダンロップ・タイヤは比べ物にならないほど優れていた。

それを知っていた母は、戦争が始まったとき、『あのタイヤをつくる国と戦争してもいいのかね』と何気なくいっていた。

それぐらい抜群のタイヤをつくっていたのである。

しかし、そのタイヤが生まれるきっかけは、自分の息子の自転車の乗り心地をどうにか快適にしたい、という親心から生まれたのである。

ダンロップはそのころ、タイヤ製造とはまったく無縁の獣医をしていたのだから、成功のヒントはどこに転がっているかわからない。

ちょっとした小さな思い付きでも、よく見て、じっくり考えると、そこに大きな成功の種が隠されているかもしれないのである。」

(『人生を創る言葉』渡部昇一(到知出版社)より引用)

同じものを同じように見ていても、ひらめく人とそうでない人がいる。

ダンロップの場合は、子供を見ていて、何とかしてやりたいと思ったのでしょう。

成功のひらめきの一番奥には、誰かのために、という思いがあるような気がします。

たった一人のためにしてあげたことが、世界的な事業になった。これは法則なのかも知れません。

今回もお読みいただきありがとうございました。

自分を磨く!今日のちょっといいお話(その294)「生き残るための無駄」

こんにちは、くらです。

もうすぐ今年も終わりです。

年末から正月へかけて、いつもなら人の移動が目まぐるしく、どこも混雑している時期ですが、今年は、帰省事態を取りやめる人が多くなりそうです。

状況を見ると仕方ないと思いますが、いつもあるものがなくなると、やはり寂しいと感じます。

普段それほど重要だと思っていないこと、むしろ無駄だと思っていることも、できなくなると、我々の生活にその無駄も大切だったと思うのです。

前職では月に3回くらいは飲み会がありました。

決して嫌なわけではないのですが、結構時間もお金も費やしていましたので、特に、気の向かない飲み会は心のどこかで無駄な時間と感じていました。

退職してそれが全くなくなりました。

時たま前の仲間に誘われるのですが、コロナ禍では、それもなくなりました。

1年全く飲み会等で集まる機会がなく、無駄が無くなったと思う反面、なんとなく寂しい気もします。

飲み会を例に挙げましたが、買い物や旅行、友人と会う、など、普通にできていたこと、いわゆる、不要不急ができないとなると、どちらかというと無駄と思われることは、人間には必要なのではないか、と最近よく思います。

「生命の継続を可能とした戦略の本質は、通常イメージされている、適応的な進化のような一方向を向いたものではない。

本当に大切なことは、実はその環境下で生きることには何の役にも立たない、『無駄』な変異をランダムに起こし続け、それを許容することなのである。

単純な話ではあるが、他の環境で有利に働く変異は、現環境下では基本的に、『無駄』なのだ。それを許容して生み出し続けることが、現状とは違う県境で生存できる新しい生き物を生み出し、簡単には全滅しない強靭性を生命に与える。

『無駄』を生み出し、それを許容すること、それが生命の持つ優れた特性である。」

(『科学と非科学』中屋敷均(講談社学術文庫)より引用)


生物は無駄な部分を持ちながら生きながらえる。

無駄があるからこそ生きながらえることができる。

そう感じてしまいます。

いままで何も考えずに、無駄だなと思いながらもできていたことは、できなくなって初めて無駄ではなかったと思える。

それは、実は無駄ではなかったのかもしれません。

違う話かもしれませんが、以前、家庭菜園をやっていました。

畑に行かないとすぐに雑草が野菜を駆逐するほど一杯になってしまいます。

しかし、不耕起栽培ということを勉強すると、その雑草の根が、土を耕してくれる。雑草を、根を残して刈ると、土の中に残った根が腐食して消え、その後が栄養や水やミミズの通り道になる、ということを知りました。

ちょっと周りを見ると、無駄だと思っていたものが、実はとても有用なものだった、ということがあるかもしれません。

今回もお読みいただきありがとうございました。

自分を磨く!今日のちょっといいお話(その293)「悩みの焦点」

こんにちは、くらです。

私は元々寝つきがいい方で、布団に入ったら3分もたたないうちに眠ってしまう性質でした。

中学校の臨海学校というのがありまして、2泊3日で千葉の館山というところに行きました。

3日間何をしたのか全く覚えていないのですが、帰ってから友人に言われたことを今でも覚えています。

「お前は夜一番最初に眠って、朝一番最後まで寝ていた(笑)」

未だに寝つきはいい方ですが、それでも年を取ると寝つきが段々悪くなってきた気がします。

世の中には、夜なかなか眠れない方が結構いらっしゃいます。

薬に頼らないと寝つけない人もいます。

こんなときどうするか。

人が悩んでいるとき、どんな行動をとるか、という話があります。

「たとえば、夜眠れないと悩んでいる人がいたとします。

早く寝なければ、と思いながらも、眠ろうとするればするほど、目はパッチリと覚めてきます。

目の前にある問題(眠れないこと)を解決しようとすればするほど、うまくいかない。眠れないのです。

でも、眠れない眠れないと思っていても、いつの間にか眠っていた。

きっとそんな経験もあるのではないでしょうか。

そのとき、なぜ眠ることができたのか?

思い返してみると、きっと、眠ろう眠ろうとする意識から離れた瞬間があったはずです。

眠ろう眠ろうと、必死で頑張っているときは、全然眠れないのに、その意識を手放した瞬間に眠ってしまっているのです。

実は、カウンセリングでもこれと同じようなことが起こります。

問題を解決しようと必死で頑張っているときは、なかなかうまくいかないのです。

だって、解決しようという思いは、解決すべき問題があるという前提に立った考え方です。

問題がそこにあると認識しながらそれを消すことは、実はすごく難しいのです。

(中略)

さきほどの話のように、眠れないと思うから眠れないのです。

どこに意識の焦点を合わせているか?悩みに焦点を合わせている人が悩んでいる人なのです。

(中略)

解決すべき問題に焦点を合わせているとき、私たちの悩みは顕在化します。

だから、いかにこの悩みに焦点を当てずに生きていくか。

それが本当に大切なのです。」

(『カウンセリングの技術』今泉智樹(同文舘出版)より引用)

悩みを捨てたときに悩みは解決する。

そこに悩みなどなかった。

それを受け入れられるのは、自分自身を受け入れることができたとき、だと感じます。

中々難しいことではあります。

今回もお読みいただきありがとうございました。