こんにちは、くらです。
上手にできなくても、好きなら続けることができます。
私の場合、ギターはそのいい例だと思いますが、でも、好きなら続け、そして更に上に行きたいと思います。
日々練習していても、進歩はほとんど見られないような気がしますが、それでも、少しずつ、今までできなかったことが出来るようになると、楽しく、嬉しいものです。
仕事をしていても、自分が上を目指しているときは楽しいのですが、これが他者との競争となると、途端に楽しさが無くなります。
それが組織で生きることなのだと、ずっと思っていました。
「人は無力な存在としてこの世に生を受けます。
そしてその無力な状態から脱したいと願う、普遍的な欲求を持っています。
アドラーはこれを『優越性の追求』と呼びました。
(中略)
『優越性の追求』というと、他者より優れていようとする欲求、他者を蹴落としてまで上に昇ろうとする欲求のように思われがちです。
人々を押しのけながら階段をのぼっていくようなイメージですね。
もちろんアドラーはそんな態度を肯定しているのではありません。
そうではなく、同じ平らな地平に、前を進んでいる人もいれば、その後ろを進んでいる人もいる。
そんな姿をイメージしてください。
進んできた距離や歩くスピードはそれぞれ違うけれども、みんな等しく平らな場所を歩んでいる。
『優越性の追求』とは、自らの足を一歩前に踏み出す意思であって、他者よりも上をめざさんとする競争の意思ではありません。」
(『嫌われる勇気』岸見一郎、有賀史健(ダイヤモンド社)より引用)
無力な自分から、更に上へ行きたいという欲求は、普遍的なもの。
ならば、周りの優れた人や能力、才能に満ち溢れた人がいても、自分を卑下する必要はない。
それらの人たちも、最初はきっと無力な一個人であり、自分を伸ばしてきた先人として、手本を示してくれている。
その人たちと同じ道を進むことは難しいかもしれない。
なぜならば、それは、その人達自身が、自分なりに試行錯誤して作った道だから。
ならば、自分でも自分なりに道を作れるのかもしれない。
すごい人たちは、あくまでも、道を作った先例であり、そのまま踏襲し、守るべき存在ではなく、自分を押し上げてくれる勇気を与えてくれる存在である。
そんなことを感じました。
今回もお読みいただきありがとうございました。