こんにちは、くらです。
成功する人の手は血だらけだ、という話があります。
物騒な話に聞こえますが、実はそうではない。
「幸田露伴は、こんなことを言っている。
『成功した人と成功していない人を見ると、成功した人は失敗した原因を自分に求める。
悪い運を惹いたのは自分の手であると考えるから、その手は血にまみれている。
ところが、失敗ばかりしている人は、手が痛むようなことをせず、手がきれいだ』
けっして他人のせいにせず、自分の責任で運命の糸を引く人の手は、痛み、血だらけになっている。
何かにしくじるたびに、自分で何か打つ手がなかったのだろうかと、痛いほど自己を省みる。
しかし、あらゆる失敗を人のせいにして知らん顔をしているような人は、手から一滴の血も流していない。
失敗を自分の責任として捉えず、自らの責任において運命の糸を引いていないのだから、痛いはずがないのだ。
どちらがより成功に近いかは、言わずもがなであろう。」
(『人生の手引き書』渡部昇一(扶桑社新書)より引用)
失敗を自分の責任と考え、次は必ずやり遂げる、と思いながらまた失敗する。
それでも、あきらめない人は、結果として、自分を信じている人なのでしょう。
自分を信じられないと、やっぱり自分はダメなのだ。
何回やっても失敗する。そう思ってしまう。
すると、失敗する自分が嫌になる。
嫌になった自分を受け入れたくなくなる。
そして、自分以外に失敗の原因を求める。
私は新人の頃、営業成績が全く伸びなかったとき、この通りの心理状態になっていました。
売れないのは製品のせい、理解しない顧客のせい、こんなところを担当させた会社のせい・・・・・・。
いくらでも他人のせいにできます。
自分の本当の姿を受け入れたくないから。
でも、売り上げが伸びてきたころは、不思議と自然に失敗を自分の責任として受け入れていました。
今回は、私のこの行動が悪かった。
次はこれをやってみよう。
失敗を自分の責任として受け入れられるのは、身体を動かして、自分の意思で問題に対処し続けること。
それをやると、確かに自分の手は血まみれになることが多々あると感じます。
「子曰く、君子は諸(これ)を己に求め、小人は諸を人に求む。
君子は何事も己の身に反りみ求め、小人は何事も人に求める。」
(『論語新釈』宇野哲人(講談社学術文庫)衛霊公第十五ー二十一 より引用)
小人は永遠に君子を目指して歩き続ける。
そして、少しずつでも進んでいけたら、生きていく甲斐があると感じます。
今回もお読みいただきありがとうございました。