「自捨力」カテゴリーアーカイブ

「自捨力」とは、
自分の捉われに気づき、
それを否定することなく受け止め、
その上で、
自分の可能性を、
たとえ根拠がなくても信じる力

自信も才能もなく毎日の仕事がつまらなくて仕方がなかった自分が、仕事が楽しくてしかたない自分に180度変わった理由 (その12:アドリブ力の実践3)

こんにちは、くらです。

前回は、以前得意(?)だった釣りの話をしてしまいました。

自分のそのときの得意分野を活用する、という話をしたかったのですが、伝わったでしょうか。

人はそれぞれ自分の世界を持っていると思います。

その中で、人よりは少しでも得意、もしくは好きな世界があると思います。

それを足掛かりにして、人生も、仕事も楽しくできると感じます。

前回は、私の好きな釣りそのものを活用した例でした。

釣りとアドリブが関係しているのかどうか。

これは、とても関係が強いと思っています。

アドリブは、即興。音楽では即興演奏。

目の前の事象に対して、咄嗟に判断して対応すること。

アドリブ力とは、咄嗟に対応して、自分も周りも前に進むようにもっていく力、と定義します。

釣りは、海だったら、ねらう魚の習性に合った仕掛、餌、そして、釣り方が必要です。

釣り方は、その日の潮の動きや天候に左右され、餌をどこにどう流すかを瞬時に判断しなければなりません。

何度か流して当たりが無ければ、餌を変えたりタナ(餌を流す深さ)を変えたり場所を変えたりします。

音楽のアドリブも、流れてくる伴奏、コード、リズム、などに合わせて、弾く音や弾き方をその場で判断し、即座に演奏に移します。

頭で考えている時間はほとんどないので、瞬時に身体(ギターだったら弾く指)が反応して楽器から音を出すことになります。

しかし、何もないところから新しいものは生まれない。

新しいものは、その世界のバランスの中で存在していくもの。

ジャズだったらジャズの世界を踏まえたうえでそれを越えるもの。

ロックだったら、それまでの枠組み、リズム、楽器、音感、などを踏まえたうえで超えていくもの。

ギターでアドリブをするには、どんな曲で、リズムで、コード進行で、長さで、編成で、などを理解したうえで自分の音を作っていきます。

ジャズを演奏しているのに一人だけロックを演奏してもバランスが整わない。

演奏者としては面白いかもしれないが、聞いている側ではそれはどうなるかわからない。

人に対しても同じことが言えると思います。

こちらは大好きな果物(たとえばメロン)でも、相手にとっては、もしかしたら食べたくない(以前おなかをこわした、とか)理由があるかもしれない。

アドリブ力は、自分もまわりも巻き込んで前へ進む力。

相手に投げかける前に、十分相手を知っておく必要があるのです。

私はブルースでしたら、何とかアドリブっぽいことはできます。

それは、ブルースの12小節の構造、コード、使える音、リズム、などに耳も身体も慣れているからです。

こんな感じです。Blues demo

前半に使える音(マイナーとメジャー・ペンタトニックスケール)を弾いてます。

それを使ったアドリブを最後に弾いてます。

基本的な知識とスキルはアドリブには必要になります。

これは、どんな状況のアドリブにも同じことが言えると思います。

顧客との面談での、聴くアドリブ。

プレゼンでの説明のアドリブ。

数人での会話でのアドリブ。

会議での質問のアドリブ。

これらは全て、その状況における知識・スキルをふんだんに活用するうえで発揮されるアドリブです。

そして、アドリブを発揮するのに必要な要素として、傾聴と捉われない心が必要なのです。

これを私は、傾聴力、自捨力と名付けています。

つづく

自信も才能もなく毎日の仕事がつまらなくて仕方がなかった自分が、仕事が楽しくてしかたない自分に180度変わった理由(その9)

こんにちは、くらです。

営業(MR)が嫌で嫌でしょうがなかった自分。

何とかする方法は、辞めるか、現状を変えるか、それしかない。

最初は辞めることしか頭にありませんでした。

何とかする方法をしっていたら、とっくにそうしていたでしょうから。

嫁さんもらったばかりなので、逃げるわけにはいかない。

それで私が実際にとった行動は、それまで先輩や上司にやってはいけないと言われていたことをやったこと。

奇跡的にそれがうまくいったのでした。

でも、やってはいけない、と言われていたことでしたが、よくよく考えてみたら、何らかの形で先輩たちも、やっていたのでした。

それは、規則に反しない内容で、相手に喜んでもらうことでした。

新人の初めは、先輩たちがあの先生にはこれを持って行けば喜ぶ、これをしたらきっとうれしい、などと言われていたことを、やってみても、実は全然うまくいかなかったのでした。

先輩たちはうまくいくのに、なんで自分がやると全然だめなのか。

やってもやってもうまくいかないと、やる気が失せます。

これは、先輩たちだから相手が喜ぶ、つまり、人間関係なのだと、うすうす感じていた。

だから、関係ができてない自分がいくら先輩たちと同じことをやっても相手の心には響かない。

そういうことは実感してました。

自分がやってもだめなんだ。

いくらやっても通じない。

私ではだめ。

この固定観念が頭を支配し、自分の行動をとてつもなく制限していたのでした。

それに気づかされた私は、やってみたいと思っていたことを、片っ端からやってみた。

徐々に結果に結びつき、いつの間にか人間関係もできていた。

気付いたら、夢のような世界(おおげさ)。

この世界を造れたのはなんでだろうか。

やりたいことをやる。でもそれは、あくまで相手が喜んでくれそうなこと。

ここで私のアドリブ力が発揮されます。

実際の例を簡単にお話します。

あの人はいつも釣りにいっている。

では、その釣りの話題を掘り下げてみよう。

当時、チヌ(クロダイ)のかかり釣りというのが流行り始めていました。

私は小学校の頃から釣りが大好きでしたので、釣りの雑誌はよく読んでいました。

そこで、かかり釣りの話題を投げると、気にはしているけど、スペックなど(竿、リール、糸など)はまだ揃えていない、ということでした。

私は、勝手に買いそろえて、相手に差し出しました。

相手は心からびっくりしてました。

実は、話を投げかけたときが、その人とは初めて話したときだったのでした。

つまり、さっき話題で話したものを、もう今持ってきた、ということです。

本当にびっくりしていました。(そりゃそうだ)

でも、その後、その人とは月に1回、釣りクラブで一緒に釣りにいく仲になりました。

その人と私にしか分からない絆ができたのでした。

私は、そんな絆ができるなんて夢にも思っていなかったので、自分の行動がしばらく信じられませんでした。

そんなことがあってから、そういう絆がいたるところででき始めました。

目的は、相手によろこんでもらいたい。

その理由は、相手と仲良くなりたい。

現状とのギャップは、他人に近い状態。

対策は、趣味が分かっているので、そこをアドリブ力で実践していく。

考えてみると、課題設定・問題解決を、いつの間にか実践していたのでした。

次につづく。

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自信も才能もなく毎日の仕事がつまらなくて仕方がなかった自分が、仕事が楽しくてしかたない自分に180度変わった理由(その7)

こんにちは、くらです。

毎日辞めたい、もう辞める、とばかり考えていた営業が、突然変わりました。

前回お話したように、訪問先で、仲の良いDr.ができてから、病院へ訪問するのが、楽しくてしょうがなくなりました。

数カ月前の自分からは想像もできないことでした。

それまでの私は、病院の駐車場へ車を止めると、「はぁ~」とため息ばかり出て、なかなか車から降りることができませんでした。

「あー、行くのいやだなぁ」

今でもその時の感覚を思い出して、心が重くなることがあります。

でも、すぐにその重さもなくなります。

それは、その後、自分でその重さを克服できたからです。

克服できたのは、本当にラッキーでした。

あのまま時が過ぎていたら、今の自分はなかったでしょう。

私の仕事生活は劇的に変わりました。

毎日、仕事先の病院へ行くのが楽しくてしかたがなくなったのです。

「この病院では、これとこれをやって、すぐに次に行かなければ。」

時間が惜しくてしかたがなくなりました。

それまでは、時間が余ってしかたがなく、どうやって時間潰そうかな、という稼働をしてました。

なにせ、話す相手がほとんどいないので、仕事もすぐに終わったからです。

病院へ入って、パンフレット配って、少し先生のいる部屋の前にたって、それからすぐに出て、次へ行ってました。

説明だけではよく分からないと思いますが、新人の頃は、話す相手もいないので、ずっと壁に立っていたので、「壁の花」と呼ばれていました。

これは新人だけではないのですが、ずっと立っていると、その壁の装飾のようになっている喩えでそう呼ばれていたのでした。

ずっと壁の花だった自分ですが、行動を変えてからは、壁にたっている時間がほとんどなくなりました。(先生を待つときには立っていましたが。)

劇的に変わった理由はなんだったのか。

前回お話したように、気兼ねなく話せる相手ができたからでした。

一人そういう相手ができると、不思議にどんどん話せる相手ができてきました。

仲の良い先生方が増えると、自分の意識も変わってきました。

それまで、宣伝はパンフの内容と、会社から教えられたトークを中心に話をするだけでした。

でも、仲のいい先生には、何を質問されてもいいように、しっかりと準備をするようになりました。

この薬の子の作用は、この文献でこう述べられていて、効いているのはこの理由、効かないのはこの理由、違う作用はこの文献、などと、一所懸命に勉強するようになったのでした。

会社から与えられた情報はもちろん、頭に入れましたが、それ以外の情報も、相手によって必要なものは様々ですので、その勉強をしていたのです。

そのうち、何を聞かれても大丈夫、という自信を持てるようになりました。

もちろん、全てを即座に回答できるわけではありませんでしたが、分からないことは分からない、と、自信を持って言えるようになり、そのときは、すぐに調べて短期間のうちに回答を持っていけるようになりました。

先生がある薬を使ってくれたのに効かなかった、と言われたとき、その患者さんの状態を詳しくお聞きし、その患者さんには残念ながらうちの薬は余り効果がなく、その場合は、他のメーカーのこの薬がいいと思います、他の病院の先生が実際にお使いになって効果を仰っていました、という調子でお話していました。

その患者さんも、後日、他のメーカーの薬で良くなったことを聞き、良かったと思うと同時に、先生からの信頼もより厚くなったと感じました。

私は、自分には自信も才能もないと、本気で思っております。

でも、何かに本気で打ち込む、ということには憧れを持っていました。

本気で打ち込んでも、自信も才能もなければ何の形にもならないだろうと、やる前から諦めていたのでした。

何かのカタチになるかどうか、それは今も自信がありません。

カタチにしたいと思う気持ちはどこからくるかというと、誰かに認めてもらいたい、という気持ちからだと思います。

その気持ちを捨てられた時、もしくは忘れられたとき、自分は何かに打ち込めるのだ、ということを、今はやっと確信できたと思っております。

仕事では、会社や顧客に認めてもらいたい思うのは当たり前です。

それで、お金をいただいているのですから。

でも、認めてもらいたいという気持ちと同時に、自分で掘り下げること、追求することの楽しさを感じることが、人生でとても大切だと思います。

このことについて、次にお話したいと思います。

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自信も才能もなく毎日の仕事がつまらなくて仕方がなかった自分が、仕事が楽しくてしかたない自分に180度変わった理由(その4)

こんにちは、くらです。

前回の続きです。

営業職を自分で選んだのですが、最初の印象は、「間違っていた!」(笑)

そもそも、世間で苦労したことのない人間が、人に頭を下げたり、おべっか使ったり、愛想笑いしたり、などできるわけがない。最初は本当にそう思っていました。

つまり、私の営業に対する印象そのものが、そもそもよく分かっていないことから来るものでした。

考えてみれば当たり前です。

何の経験もなく、ただただ営業やってみようかな、などと、深い決意もない軽い人間が、分かっているはずがないのでした。

ですので、営業を始めた最初の1年は、散々な結果。

当時の支店では、成績はいつもほぼどん尻でした。

前任の先輩から病院・開業医の先生方を受け継ぐのですが、最初はほとんど相手にされませんでした。

毎日病院へいく。

先生に会う。

宣伝をする。

「またよろしくお願いします。」

そして、次の病院へいく。

この繰り返し。

実績は全く伸びない。

こんな毎日を繰り返していれば、誰でも嫌になります。

仕事をしているという実感が持てない。

それは、自分が投げたものに対する反応が全く感じられないから。

なぜ反応がないか。

それは、投げること、投げるものが、全て独りよがりだからです。

相手の受け取りたい内容のものを投げない限り、受け取って、そして、投げ返してはくれません。

と書きながら、気づいてしまいました。

このブログもそうなのかも、と。

そもそも投げる相手が全然いないのでした。

反応がないことを続けることくらい、つらいことはありません。

誰でも、自分がやっていることに誰も反応しなければ、継続する意欲がなくなるでしょう。

営業をしていた最初の自分が、全くその通りなのでした。

顧客に製品の話をする。

一応聞いてくれる。

「わかった。機会があれば使うよ。」

と言ってくれるのですが、そう言って使ってくれる人はいませんでした。

私の営業は、医薬品をお医者さんに説明して、適応ある患者さんに使ってもらう、という仕事でした。

毎月一度、支店全員が集まり、丸一日製品の知識、説明の仕方、ロールプレイなどの知識・スキル研修。

きっとどこの業界でもやっていることだと思いますが、伝えるべきことを伝わるように伝える方法を学ぶ。

学ぶ内容は、もちろん会社の各部門から戦略に基づいて作成されたものですので、どの営業マンにも共通です。

でも、実際に現場で使うと、どうして、といいたくなるほど、結果に差がでるのです。

先輩たちと同じことを勉強して、同じように使い方を習っているのに、どうして実績にこれほどの差が出てくるのだろう。

毎日現場へ行って、夜疲れ果てて帰って来て、その日の実績の報告を見て、ため息をつく。

「全然だめだ。」

やっていることが実績に結びつかない。

どうして。考えても考えても分かりませんでした。

習ったことはみんなやっているはず。

やるべきこと、そして、やってはいけないこと。

それに基づいて行動しているはずなのに。

毎日その繰り返し。

やってもやっても報われない仕事に、ほとほと嫌気がさしてきていました。

「やっぱり、自分は営業には向いていないのだ。」

「同期のあいつはもうあんなに実績出している。」

「営業は、向いている人間がやる仕事なのだ。」

こんな声が、自分の頭の中を常に流れていました。

そして、段々と、仕事を辞めることを考えていました。

「自分のような性格に向いている仕事があるはず。」

「営業は、明るくて、前向きで、話がうまい連中がやる仕事だ。」

実績を出せない自分を受け入れることができず、向き不向きの理由になんとか結びつけて、自分を保っていたのでした。

そんな状態で1年が過ぎ、営業という形は保っていたものの、内容はほとんど変わらず、自分の中のモチベーションはゼロに近い状態でした。

朝、支店へ顔を出し、前日の日報を書いて提出し、「いってきます。」といって会社を出て、すぐに行きつけの喫茶店(古い)へ行って時間をつぶす。

昼前ごろに得意先に顔を出し、いつものように製品の説明をして、同じように3,4軒回って、夜は直帰。

「あー、今日も全く仕事の実感がなかった。」

こんな毎日でした。

「この仕事やめた後はどうしようか」

常にそんなことを考えている毎日でした。

そんな自分に、人生の転機と言えるようなことが起こりました。

いつものように、朝会社を出て、行きつけの喫茶店へ行って、タバコ(今はもうやめてます)を吸っていました。

「はー、今日も疲れるなあ。」

そこへ、中の良かった先輩がやってきました。

先輩は私の前に座り、言いました。

「どうした。最近元気ないな。」

「元気ないっすよ。もう全くやる気ないっす。」

その先輩には、自分の思いや考えをよく話し、また先輩もよく話を聞いてくれましたので、そのときの自分の思いを全部吐き出してしまいました。

「やる気ないっす。だいたい、会社がやれっていうからやっているのに、全然反応ないですよ。
引き継いでもらった先輩たちに言われた通り、この病院ではこの先生、この病院ではこの先生に中心的に話をする。
大事な先生にはいつも顔を出して覚えてもらう。
あの先生の趣味はこれだから、この話をするといい。
この病院は夜行ってはいけない。訪問規制があるから。破ると出入り禁止だ。
全てやることやっているのにどうして実績でないんですか。
もうやるべきことないですよ。
どうしたらいいか全く分かりません。」

気が付くと、先輩の話など聞かずに、ここぞとばかりに、だーっと話していました。

私が話尽くして、少しの間、沈黙が流れました。

そして、先輩が言いました。

「そうか。苦労してんだな。
でも、お前の言うことはよく分かるよ。
俺も新人のときは同じような思いしたからな。」

先輩は私の気持ちを受け止めてくれました。

そして、先輩が言った次の言葉で、私の人生が変わったのでした。

「でもな、お前、本当に自分のやりたいことやっているのか?」

えっ、何の話?

最初聞いたとき、全く意味が理解できませんでした。

やりたいこと?

営業なんてやりたくないし、つまり、営業やめろってこと?

先輩の言葉は、自分の胸に突き刺さったのでした。

次回につづく。

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ちょっと内気な営業マンの自捨力-「自分を信じる」簡単な方法(2)

こんにちは、くらです。

「自捨力」とは、

「自分の捉われに気づき、
 それを否定することなく受け止め、
 その上で、
 自分の可能性を、
 たとえ根拠がなくても信じる力」

のことです。

前回、
自分を信じるためには、
根拠のない自信を持つこと、
というお話をしました。

「私はすごい!」
「私はイケてる!」
「私はできる!」

などなど、
簡単に言ってしまうと、
たとえ根拠がなくても、
人に承認されなくても、
自分で自分を認めること、
からまず始めよう、
ということなのです。

根拠がないのに自信なんて持てない。
そんなの傲慢で人から非難される。
思い上がりもはなはだしい。

内気な人はこんな風に思うのではないでしょうか。

ただし、
傲慢、というのは、
人を見下す、思い上がり、
という意味も含まれていますので、
それは確かに周りの人から非難されるかも知れません。

人を見下す、
思い上がり、
というのは、
内気な人間が一番嫌いな言葉として、
承認を得られるかも知れません。

ここでいう、
「私はすごい!」
という言葉は、
人に自慢することでもなく、
人を見下すことでもなく、
人と比較することでもありません。

あくまで、
自分自身にかける言葉なのです。

ではなぜ、
「私はすごい!」、
つまり、
あなたはすごいのか。

まず、
今、生きている、
ここまで生きてきた、
ですよね。

一人ひとり、
様々な経験をしてきています。

いいことも、
悪いことも、
楽しいことも、
嫌なことも、
きっとたくさんあったと思います。

それでも、
あなたはここまで生きてきた。

これだけでも、
あなたはすごいのです。

生きているのがすごい、
とは思えない方に、
一つ質問です。

あなたは、
自分の手で、
生命を作り出すことができますか。

鋼の錬金術師、
という漫画があります。

私の大好きな漫画なのですが、
主人公の兄・エドワードと弟・アルフォンスのエルリック兄弟は、
亡くなった母親を蘇らせようとして、
錬金術を自ら研究し、
人体練成を実行しますが、
これは禁忌であり、
エドワードは身体の一部を、
アルフォンスは身体ごと全部を失います。

そして、
彼らは失ったものを取り返すため、
創造を絶するような体験をしていきます。

この漫画で明らかに思い知らされたこと、
というよりも、
納得させられたことは、
人は、
自分の手では、
決して生命を作り出すことはできない、
ということ、でした。

女性は子を産みます。
生物はメスが子孫を残します。
もちろん、
オスがいないとかないませんが。
(雌雄同体、という例外もありますが)

確かに生物は、
生命を作り出せたから、
この世界に生物が継続して生存しています。

でも、
ほとんどの場合、
メスもオスがいないと、
それがかないません。

卵に精子が受精しないと、
今の生物社会は存続できません。

では、
卵そのものを、
自分の手で作り出せるのか、
精子を作り出せるのか、
ということまでは、
まだ、
人間はできません。

女性は、
生まれたときから、
すでに、
自らの体内に、
卵を持って生まれてきます。

精子は、
男性が思春期を迎える頃、
体内で(精巣で)作られるようになります。

女性も男性も、
体内で自然に生命の源が作られるのであり、
自らの意思では、
生命の源を作ることはできません。

我々は皆、
人間の意志を超えた何かから作られたのであり、
一人ひとりが、
別々の個性を持った存在で、
同等のものは何一つないのだと分かります。

これを考えるだけでも、
十分に、
自分はすごい!
と思いませんか。

まず信じること!
「自分はすごい!」と。

ちょっと内気な営業マンの自捨力-「自分を信じる」簡単な方法(1)

こんにちは、くらです。

「自捨力」とは、

「自分の捉われに気づき、
 それを否定することなく受け止め、
 その上で、
 自分の可能性を、
 たとえ根拠がなくても信じる力」

のことです。

あらゆることから自由になれれば、
こんなに楽なことはないだろうな、
と思うことが多々あります。

でも、
これは考えてみると、
自分は自由ではない、
と感じている、
ということになります。

では、
自分はなにをもって、
自由である、
自由ではない、
と感じているのでしょうか。

「自由とは、
 一般的には,心のままであること,
 あるいは外的束縛や強制がないことを意味する。
 哲学上は,
 人間が行為する際に一つの対象を必然的に追求するのではなく,
 それ以外の対象をも選びうる能力をいう。」
(コトバンクより)

つまり自由とは、
束縛や強制から開放されて、
色々な選択ができること、
ということでしょうか。

ならば、
自由でない、
つまり不自由とは、
束縛や強制にしばられ、
選択などは許されない状態、
ということになります。

自由になりたい、
という人は、
自由ではない状態から逃れたい、
不自由な状態から開放されたい、
ということになります。

自分も含めて、
不自由な状態というのは、
どんな状態が一般的に多いかと考えてみますと、
一番先に頭に浮かぶのは、
自分の周りの人間関係ではないでしょうか。

しかし、
人の社会に暮らしているならば、
余程のことがない限り、
人との関係を全く絶つのは、
無理なことかもしれません。

人との関係を絶つのが無理なら、
人との関係で不自由な思いをする、
その思いを捨ててみてはどうでしょうか。

といっても、
そんなに簡単なことではないかもしれません。

生理的に嫌な人、
どうしても合わない人、
会うたびに憎さが増してくる人、
怖い人、
妬んだり妬まれたりする人、
など、
自分を苦しめる人は周りにたくさんいる、
という方もいらっしゃるかもしれません。

そんなとき、
「自捨力」が力を発揮します。

ではどうするか。

まず、
自分に今起こっている感情に気づきます。

今、嫌な気分、
今、もやもやしてる、
今、むかついている、
今、悔しい気分、
今、悲しい気持ち、
など、
一歩自分から離れて、
自分自身を観察してみます。

そして、
次の言葉を心の中で繰り返します。

「私はすごい!私はすごい!・・・」

声に出すと、
変な人、
と周りの人が引いてしまうかもしれませんので、
気をつけましょう(笑)。

この、
根拠のない言葉が、
不思議と心を落ち着かせます。

特に、
内気な人がこの言葉を繰り返すと、
内気なちょっといい人、
に生まれ変わります。
(根拠ないけど(笑))

まず、
ここから始めましょう!

ちょっと内気な営業マンの自捨力-「積極的、を捨てる(その2)「ねば、を捨てる」」

こんにちは、くらです。

「自捨力」とは、

「自分の捉われに気づき、
 それを否定することなく受け止め、
 その上で、
 自分の可能性を、
 たとえ根拠がなくても信じる力」

のことです。

営業マンに限らず、
仕事をする上で、
いつまでにあれをやらねば、
あの顧客にこれを説明せねば、
など、
「・・・ねば」
ということは多々あると思います。

また、
仕事だけではなく、
普通に生活する上でも、
我々は、
こう生きねばならない、
こういう態度を取らねばならない、
こういう風にせねばならない、
などと、
いつの間にか、
様々な「・・・ねばならない」を、
たくさん身に着けて生きています。

もちろん、
これは生きるため、
仕事をするために、
必要なことがほとんどだと思います。

社会的に生きるためには、
社会のルールに従うことは、
当然の義務です。

ただし、
当然だと思って、
実は、
自分で勝手に義務付けしたり、
必要だと思い込んでいるていることも、
結構多いのではないでしょうか。

営業マンで例えると、
営業マンは積極的にがんがん顧客を訪問しなければならない、
営業マンは社交的でなければならない、
営業マンは会話上手でなければならない、
などなど。

もちろん、
これらのことは、
できればそれに越したことはないかもしれませんが、
反対に、
これらの能力があれば営業がうまくいく、
とは私には思えないのです。

その理由は、
これらの行動の全てに、
「・・・ねばならない」があるからです。

確かに新人の頃は、
営業の仕事とはどんなものか、
慣れる意味では、
できるだけ多くの顧客に会い、
できるだけたくさん話し、
相手に自分を覚えてもらう、
ということがある程度は必要かもしれません。

でも、
それはごく最初の頃の話。

ある程度訪問回数が増えてくれば、
なんとか顔は覚えてもらえます。

問題は、
相手に顔を覚えてもらってから。

顔と名前が一致するくらい訪問を開始しても、
積極性だけで、
まだ最初と同じ行動を繰り返していると、
相手も、
こちらが何のために来ているのか、
嫌になってきます。

「用もないのにそんなに来るな」
「またその話か」
「現状で問題ないからもういいよ」

こんな気持ちが相手に芽生えてきます。

こんな時期に必要なのは、
「・・・ねばならない」という気持ちを捨て、
「なんのために」自分はこんな行動をとっているのか、
それをはっきりさせることが必要です。

積極的、を捨てる(その2)
・・・・・「・・・ねば」を捨てる

ちょっと内気な営業マンの自捨力-「積極的、を捨てる(その1)「自分の好きな世界を持つ」」

こんにちは、くらです。

今の時代、
この激動の時代を生きていくには、
自分をはっきりとらえ、
考えや感じたことをしっかりと伝え、
より積極的にならないと、
この社会では生きていけないと、
小学校の頃から言われ続けているような気がします。

つまり、
生まれた頃から、
ずっと激動だった、
ということです(笑)。

ということは、
そんな激動の時代でも、
私のような内気な人間が、
なんとか生きていけるのだ、
ということなのです。

積極的になれ、
といわれ続け、
こんな自分でも、
割と色々なことをしてきたと思います。

小学校、中学校、高校と、
必ず1回はクラスの議長や委員長をやりました。

だいたい大人しくて、
断れない人がなるのではないでしょうか。

人前に立つと、
足が震え、
言葉がなかなか出てきません。

いつも、
副議長、副委員長の女の子が、
議長の私を尻目に、
どうどうと司会進行をしていたのを見て、
自分はなんであんなふうにどうどうと話せないのだろうか、
と、情けない思いをしていたのをよく覚えています。

ただ、
今思い返してみると、
しゃべれない自分を、
周りの人が助けてくれた、
情けない自分だからこそ、
なんとかしてくれる人が現れる、
そんなことを感じます。

こんな自分でも、
積極性に欠けていても、
今までなんとかやってこれたのは、
周りの人が助けてくれたからだと、
今更ながらに感謝してます。

では、
どうして周りが助けてくれたか。

周りの人はきっと、
私を助けようなどとは、
考えてはいなかったと思います。

しかたがないから、
代わりにやってやろう、
ぐらいに思っていたのではないでしょうか。

これが正しいとすると、
私のなにが、
周りの人に、
代わりにやってやろう、
という気にさせたのだろうか、
と考えてみました。

私は内気で、
人前に立つのは死ぬほどいやでしたが、
それでも、
少しの仲良しの友達が、
小中高と、
それぞれの時代にできたのです。

どんなことで友達になったかというと、
ほとんど全て、
自分の趣味と一致する友達だったのでは、
と思います。

釣りの友達、
ギターの友達、
サッカーの友達、
音楽好きの友達、
異性好き(笑)の友達など、
少しずつではありましたが、
話が合う人間がいました。

小さいながらも、
そして、
そんなにレベルが高くなくても、
自分の好きな世界を持っていると、
きっと助けてくれる人が、
周りに現れる気がします。

好きな世界を持っていると、
不得意なことでも、
それなりに、
一所懸命に取り組む姿勢を、
周りの人が見てくれていて、
しかたがないから、
私がやってやろうか、
という人が出てくるような気がします。

積極的、を捨てる(その1)
・・・・・「自分の好きな世界を持つ」

ちょっと内気な営業マンの自捨力-「不安を認める(その5)嫌われるのが怖い(2)」

こんにちは、くらです。

前回、
不安の定義として、
「なにか悪いことが起こる」のでは、
という恐れる感覚、
のようなことがあげられていました。

不安には、
正常な不安と、
病的な不安があります。

正常な不安には、
次のようなものがあります。

・理由は自分でも分かっていることが多い
・他人に説明できるし、理解してもらえる
・長く続かない
・苦痛があっても耐えられる
・普通に生活でき、生活習慣の変化もない
・消失すれば忘れてしまう

病的な不安としては、
以下のことがあげられます。

・理由がつかめないことが多い
・他人に説明しにくく、理解されない
・長く続く
・苦痛が大きくて我慢できない
・普通に生活できず、生活習慣が変化する
・また起こるのではという不安がある

     (「脳内不安物質」(講談社ブルーバックス)より)

病的な不安に関しては、
やはり医療行為による治療・支援が必要だと思いますので、
ここでは取り上げません。

内気な人の不安として、
「嫌われるかもしれない」ということを考えてみると、
上記の、正常な不安の中に入ると考えられます。

つまり、
理由が自分でも分かっているし、
消失すれば忘れてします、
不安がほとんどではないか、
と考えられるのです。

営業をやっていると、
様々な人に会います。

いい人、
優しい人、
怖い人、
難しい人、
など、
細かくみれば、
一人ひとりみな違う人です。

当たり前なのですが、
一人ひとり違うなら、
自分もその中の一人です。

いい人も怖い人も、
考えてみれば、
いて当たり前なのです。

嫌われるのが怖いのは、
自分が拒否されたらどうしようか、
という不安からくる恐れです。

そう感じるのは、
幼少時の親子関係や、
その他育った環境からの影響もあるかもしれません。

この件に関しては、
また改めて取り上げるつもりですが、
営業として考えるなら、
一人ひとり違う人間を相手にするなら、
自分と合う人、
合わない人がいて当たり前だ、
と、冷静に考えれば納得がいくのではないでしょうか。

一人ひとり違う人なら、
全員とうまくいくケースなど、
そうはないと思います。

自分のいいところを、
受け入れてくれる人も、
きっと中にはいると思えば、
10人中5人に嫌われても、
それはしょうがないかも、
でも、
きっとそのうち、
自分と分かり合える人が出てくる、
それまではあきらめないで、
営業という仕事を続けてみようか、
とちょっと軽く考えるところから始めませんか。

ちょっと内気な営業マンの自捨力-「不安を認める(その4)嫌われるのが怖い(1)」

こんにちは、くらです。

捉(とら)われが不安を生む、
というお話をしてきました。

捉われとしてどんなことが考えられるのでしょうか。

最初として、
「嫌われるのが怖い」、
ということを考えて見ます。

内気な人には結構多いのではないでしょうか。

嫌われるから本当のことが言えない。

嫌われるから余り親密な関係を築けない。

嫌われるから自分の本当の姿を出せない。

だから、
どんな人と会っていても、
常に演技をしているようで、
緊張し、
一人になってみると、
精神的に消耗し、
疲れてしまう。

こんなに疲れるなら、
もう人に会うのはやめよう。

このような、
人との関係をうまく構築できずに、
自分の世界に閉じこもることも、
人によってはあるのかもしれません。

閉じこもるところまでいかなくても、
心を開かずに、
一人ストレスフルな日々を過ごしながら、
社会生活をなんとかこなしている人も、
いるのかもしれません。

なぜ嫌われると思ってしまうのか。

ありのままの自分でいるのが、
なぜ怖いのか。

ありのままの自分を出すのが、
なぜ不安なのか。

不安とは、
そもそもどんな定義をされているのでしょうか。

「不安とは、
 恐ろしいものに脅かされているという感情。
 現実に恐れる対象がはっきりしている恐れとは異なり,
 その原因は本人にも明瞭でない。
 また,不快な刺激に基づいて獲得され,
 回避反応の学習にあずかる2次的動因となる。」
              -コトバンクー

「不安:
 どうなるかと心配して、
 おちつかないようす。」
      -三省堂国語辞典ー

では、
不安の反対はなんでしょう?

対義語としてあげられているのは、
安心、
安定、
などです。

「安心:
 心配がなくなって、
 心がおちつくこと。」
     -三省堂国語辞典ー

「安定:
 おちついていて、
 動いたりゆれたりする心配のないこと。
 物体に物理的・化学的なはたらきをくわえても、
 もとの状態をたもとおうとするようす。」
     -三省堂国語辞典ー

さらにもう一つ。

「心配:
 (悪いことが起こりはしないか、
  どうなるか、ということを、
 気にかけること。
 気がかり。」
     -三省堂国語辞典ー

三省堂の回し者か(笑)、
と思われてしまうかもしれないくらい、
少々定義にこだわってみました。

ここから更に、
なぜ不安になるのか、
考えて見ます。

(続く)