こんにちは、くらです。
ちょっといい自分を創るコツの一つは、
よりよく生きること、
だと思っております。
では、
よりよく生きるにはどうするか。
論語に、
「之を知る者は之を好む者に如かず。
之を好む者は之を楽しむ者に如かず。」
という言葉があります。
之、とは人の人たる道をさし、
この文は、
道のあることを知っている者は、
道のあることを知らない者よりは勝れているが、
道を好むものよりは及ばず、
道を好む者は、
道を楽しむ者には及ばない、
ということを意味しています。
(「論語解釈」講談社学術文庫より)
知るだけでは上達せず、
好きになって初めて向上し、
更に楽しめるようになると、
上達とか向上とかの世俗的なものさしなど関係なくなり、
純粋にそのものになりきれる、
つまり、
人間の作った勝手な判断基準を超える、
我を無くす無我の状態になって、
対象と一体になる、
ということではないかと思います。
禅の精神に近いのかも知れません。
といっても、
私の場合は、
禅があるということを知っているだけですが(笑)。
知っている、
という状態から、
楽しむ、
という境地に至るまでには、
好む、
という段階がある、
ということにも取れます。
そう考えると、
これは生きるうえで、
全てのことに共通することではないでしょうか。
知る、
というのは1人でもできる。
それを好むようになるには、
その対象を通じた経験が必要になる。
その経験を重ねていくと、
更に知るようになり、
そして更に好むようになり、
いつの間にか楽しんでいる、
ということではないでしょうか。
自分のことで考えてみると、
私は中学生の頃からギターを弾いているのですが、
最初はギターを弾いている人を見て、
かっこいい!
と思い始めたわけです。
そして練習し始めます。
最初は基本的なことばかりです。
とてもかっこいいようなことはできません。
それどころか、
いくら練習してもちっとも上達しない、
とてもかっこいいどころではなく、
むしろかっこ悪い自分がそこにいます。
取り組んで初めて、
その対象が、
実は並大抵のものではなかった、
と悟ります。
この段階が、
知る、
ということではないか、
と私は思うのです。
ギターを練習し始め、
指が思うように動かず、
だんだん嫌になってきて、
「もうやめる!」
と口に出してしまいました。
中学1年生のときです。
それを聞いていた母が、
「そんなに急にうまくなるわけないんだから、
ゆっくりやればいいんじゃない?」
ニュアンスは多少違うかもしれませんが、
そんな意味のことを言いました。
今から考えると、
その言葉のお陰で、
ギターを続けてこられたのかも知れません。
「そんなにあせる必要ない」
と思い始め練習を続けると、
次第に指が動くようになりました。
そうすると、
あこがれのアーチストの曲を、
当時はレコードでしたが、
そのレコードと同じ音で、
自分のギターで弾けたときの感激を、
今でも忘れることはできません。
ちなみにその曲は、
フォーククルセイダースの、
「悲しくてやりきれない」
という曲でした。
とてもきれいなギターのアルペジオで始まる曲です。
アルペジオとは、
コードを一音一音右手の4つの指で別々に弾きながら、
歌の伴奏とするものでした。
その曲の最初のコードが、
B♭という難物で、
左手の人差し指で6弦全部を押さえる、
いわゆるセーハ(昔はバレーといいました)が必要でした。
どうやっても音がきれいにでませんでした。
それで嫌になり、
さきほどの「もうやめる!」という言葉になったわけです。
でも、
何日も練習していると、
だんだん音が出るようになり、
最後はレコードのように、
とてもきれなアルペジオが弾けるようになりました。
これでギターに更にのめりこんでいくのでした。
この段階が、
好きになることだと思います。
色々なことに取り組み始めるとき、
知ることまでいかずに、
諦めてしまうことが、
人生にはあると思います。
並大抵なことではない、
ということを知って、
でも好きだからやり続ける、
また更なる壁がやってくる、
それでも好きだからやる、
これができて、
初めてそれを好む、
ということがいえるのではないでしょうか。
高校へ入ると、
ギター好きの友人ができて、
その友人の影響で、
エレキギターにはまっていきました。
今までの弾き方と全く違う弾き方に、
感動しながらギターを練習し続け、
バンドで弾くようになりました。
バンドでは、
ちょっとマニアックですが、
当時の私のヒーローだった、
エリック・クラプトン(クリーム)、
ラリー・カールトン、
ロベン・フォード、
などのアーチストの曲を演奏しました。
難しい曲ばかりでしたが、
大学の学園祭などで演奏するのに、
一日8時間くらい練習するのですが、
ちっとも苦にならないのです。
人前でかっこよく演奏したい、
という欲もあるのですが、
なにしろ楽しいのです。
難しい曲ほど、
練習が楽しい。
うまくできなくても、
その曲に没頭しているときが、
なんともいえない、
至福のときでした。
そういう思いを一度すると、
楽しいというレベルを、
自分なりに感じられるようになった気がします。
知って好んで、
また知って好んで、
この繰り返しを続けていくと、
いつの間にか
楽しんでいる、
という境地に達しているのでは、
と感じております。