「ちょっといい自分を創る」カテゴリーアーカイブ

ちょっといい自分を創るコツ(20)「相手に与える印象」

こんにちは、くらです。

新入社員研修でのことです。

今年の新入社員(営業職)の中に、
ほとんど笑顔がない女性がいました。

話をするときも、
目を逸らさず、
きっ、
と相手をにらむような印象を与えます。

他の新入社員と比べて、
どうしても態度が硬い。

周りの先輩たちからも、
あの子は営業は向いてないんじゃ、
という声が入ってきます。

あるとき、
新入社員を対象に、
「傾聴とは」という話をしました。

すると、
例の笑顔がほとんどない新人女性が、
食い入るように、
私の話を聞いているのです。

ラ・ポールの話から、
実際の傾聴の実践まで、
1日の講義が終了したとき、
その彼女が私に言いました。

彼女の話は大体以下のようでした。

自分は人と話すとき、
知り合いから以前、
お前は態度が砕けすぎだ、
と言われたことがあり、
それがとてもショックだった。

なので、
人と話すときは、
なるべく笑わないで、
真剣に話を聞くようにしている。

でも、
今日の話で、
人と心を通い合わすには、
笑顔がとても大事だ、
ということが分かり、
なんだかとってもほっとしてます。

それ以降、
彼女は普段からよく笑うようになり、
人に与える印象も、
それ以前とは全く異なり、
とても明るくなりました。

今現在、
営業として顧客に接していますが、
彼女の上司から話を聞いたところ、
顧客からの受け入れもよく、
とても元気に仕事をしているそうです。

自分が他人に与える印象は、
自分ではなかなか分からないものです。

相手の反応を見ても、
それはその相手の人自身の性格あるいは、
その人の反応のスタイルかも知れませんし、
もしかしたら、
あなたへの受け入れや警戒心から出たものかもしれません。

ただ、
自分自身の印象はなかなか分からないかもしれませんが、
自分で分かることもあります。

相手が自分のことをどう思っているか、
ではなく、
自分が相手をどう思っているか、
です。

自分の投げかけたものは自分に返ってくる、
とよく言われますが、
相手をよく思っていない気持ちを投げかけると、
相手からも自分に、
そのままのネガティブな気持ちが返って来る、
ということを、
私は自分が営業をしているときに、
いやというほど経験しております。

もちろん、
状況によって様々な違いはあると思いますが、
相手の態度によって、
自分の気持ちや印象を振り返ってみる、
ということを意識してみることも、
ときには大切だと思います。

ちょっといい自分を創るコツ(19)「自己啓発の条件」

こんにちは、くらです。

先日、
こんなことがありました。

他部署と仕事に関する打ち合わせで、
コミュニケーションがどうもうまくいかない部下が、
私にこう言いました。

「自己啓発しろ、
 と本部長から言われているけど、
 何をしたらいいのか分かりません。」

その人が、
他部署とのコミュニケーションがうまくいっていない、
ということを聞いていた私は、
彼にこう言いました。

「そうだね。
 例えば、
 問題解決をメインにしたファシリテーション、
 などはいいかもしれないな。」

それに対して部下は、
こう返してきました。

「ファシリテーションなら、
 昨年外部で受講してます。」

彼の中では、
恐らくセミナー受講は、
受講そのものが目的になっているのでした。

なんのために受講するのか、
その意識がなければ、
どんなセミナーも、
どんな勉強も、
なにも身につかないのです。

実は、
この話が出てくるちょっと前に、
別の部下から彼に対する相談がありました。

「大川さん(仮名)に先日、
 MBTI(自分のタイプを知るテスト)を奨めたのですが、
 自分のことはよく分かっているからいいよ、
 て言われました。」

過去にも同じような経験をしているのですが、
成功体験によって、
自分のやり方に自信を持ち、
それを変えたくないと思っている人ほど、
自分自身を理解していない、
ということが多いのです。

つまり、
自分の考え方の癖、
振舞いの癖、
受け取り方の癖、
など、
自分が周りの情報をどう受け取って、
それによってどう判断しているのか、
自分では分かっていない人が多いのです。

その癖を知る方法の一つが、
MBTIというテストです。

そしてこれも私の経験上の話ですが、
自分を変えたくない人ほど、
自分のことを知りたがらない、
ということが多いのです。

私は先ほどの部下に言いました。

「ファシリテーションもコミュニケーションも、
 根本はまず自分の思考・感情・行動の癖を理解すること。

 自分のかけている色眼鏡を自覚しない限り、
 人とラポール(やりとり、フランス語で架け橋という意味)を築いていくのは難しい。

 つまり、
 自分を理解して、
 初めて人を理解することができる。

 何故自分はこういう人にイライラするのか、
 何故自分はこういう言葉に感情的になるのか、
 何故自分はこういう態度に出てしまうのか、
 自分を理解しようとすれば、
 このような場面に出くわしたとき、
 自分の思考・感情・行動を、
 客観的に受け止めることができる。

 そして初めて、
 相手の思考・感情・行動を客観的に受け止めることができる。

 ファシリテーションもコミュニケーションも、
 自己理解・他社理解が前提となる。」

部下がどう理解したかは定かではありませんが、
その後、

「自分を理解することが一番大事だよ」

と他の人に話しているということを聞いて、
彼なりに腑に落ちたのではないかと思っています。

ちょっといい自分を創るコツ(18)「すごい人」

こんにちは、くらです。

最近、
スポーツ界がとてもにぎわっています。
ついこの間終了したピョンチャンでの冬季オリンピックでは、
スケート、スキー、カーリングなどで、
日本勢は目覚しい活躍を見せてくれました。

女子サッカーもワールドカップ出場が決まりました。

特に、
近頃毎日のようにニュースで取り上げられるのが、
ロサンゼルス・エンゼルスの、
大谷翔平選手です。

メジャーリーグではありえない、
と思われていた、
ピッチャー兼バッターとして、
実力を発揮されてます。

日本で通用しても、
アメリカでは無理だろう、
という声もありましたし、
実は私も、
通用したら本当にすごいんだけどな、
と少々疑心暗鬼でした。

もちろん、
これからの長いメジャー生活で、
彼もどう変化していくかは、
今後の様々な状況にもよると思いますが、
今のところ、
すごい!
の一言ではないでしょうか。

すでにホームラン3本、
ピッチャーとして初勝利をあげ、
アメリカのメディアも、
そのすごさに大騒ぎしているようです。

日本人として、
なんだかとても嬉しいですし、
身内のように鼻が高い、
とつい勝手に思ってしまいます。

世の中には大谷さん以外にも、
すごい人はたくさんいます。

そして、
大谷さんのように、
メディアで取り上げられていなくても、
人に知られていなくても、
すごい人はたくさんいます。

これを読んでくださっている、
あなた自身も、
実は、
すごい人なのです。

なぜなら、
このブログを読んでくれているから(笑)。
冗談です。

どんな人間でも、
他の人に比べたら、
すごい人と感じられる部分があるのです。

つまり、
なにがすごいか、
見る人、
判断する人によって、
そのすごさが違うのです。

大谷さんのように、
メディアで取り上げられて、
世界中にそのすごさが伝えられている人もいれば、
町の片隅で、
多くの人に知られなくても、
コツコツと、
そのすごさを、
生き様を、
ずっと続けている人も、
たくさんいるのではないでしょうか。

例えば、
町の小さなお花屋さんや本屋さん、
駅のそばにあるお蕎麦屋さん、
住宅街の中にある開業医や歯医者さん、
などの自営業の方々はもちろん、
学校の先生、
駅員さん、
サラリーマンなどの会社勤めの方々も含め、
社会で人のために何らかの役に立つ仕事をしている人は、
全てすごい人なのです。

なにがすごいのか。

人間生きていれば、
いいことも、
悪いことも、
色々なことが起こります。

そして、
その都度、
起こった問題や課題を、
自分なりに解決していかなければなりません。

その問題や課題は、
答えがはっきりしていることばかりではありません。

問題や課題に対処しようとして、
失敗して落ち込んだり、
もともと自分には才能がないからだめなんだと思ったり、
こんな世界は自分には向いてないのだとあきらめようとしたり、
心の悪循環が起こったりします。

だからこそ、
今、
この時点で、
仕事や事業、
大きくとらえて自身の人生を、
なんとか持続できている人は、
皆、
すごい人だと、
私は思うのです。

自分の悩みや不安や怒りなど、
他人には分からない苦しさは、
自分でずっと抱えていくしかありません。

でも、
抱えて苦しみながら、
少しずつでも前に進めるのなら、
それはすごいことなのです。

人に自慢できることではないかもしれません。

でも自慢などする必要はないのです。

自分が自分をすごいと認めているなら。

他人にはなかなか認めてもらえないことでも、
コツコツ続けていることが、
いつか大きな自信になるときがくることを信じて、
一歩一歩、
ゆっくりでもいいから、
前へ進んでいきましょう。

ちょっといい自分を創るコツ(17)「熱い思い」

こんにちは、くらです。

ものごとを成し遂げるには、
達成への熱い思いが必要だ、
という言葉をよく聞きます。

「熱い思い」とはどういうことか、
考えてみました。

あつい思い、
というと、
頭に浮かぶのは、
あのイチロー選手のことです。

イチロー選手は、
「将来はプロ野球選手になって活躍する」
ということを、
小学校の作文で書いていた、
つまり、
小さい頃からずっと、
プロ野球選手になる、
という思いがあった。

その道の有名な方は、
小さい頃から、
自分の目指す道を決めていた方が
結構多いのかもしれません。

先日、
黒柳徹子さんの「徹子の部屋」の記念番組に、
吉永小百合さんが出演されていました。

吉永さんも、
小学校の作文で、
「将来俳優になりたい」、
ということを書いていたようです。

熱い思いを小さい頃から持っている人もいる、
そして、
それを実現する人がいる、
ということが言えそうです。

反対に、
年齢を重ねた後に、
自分の思いを実現した人もいます。

これもよく話に出てくる、
ケンタッキー・フライドチキンの創始者、
カーネル・サンダースです。

彼が始めてのフランチャイズという仕組みを、
フライドチキンで始めたのが、
65歳のときとされてます。

彼のように、
成功や失敗を重ね、
紆余曲折を経て、
最終的に自分のやりたいことを実現した、
という方も、
年齢に関係なく、
たくさんいらっしゃるのだろうと思います。

そして、
残念ながら、
やりたいことはあっても、
実現できなかった人、
未だ実現できていない方も、
更にたくさんいるのだろうと感じます。

やりたいことを実現できた人と、
実現できなかった人との違いはなにか。

とても単純に考えると、
言葉の違いは、
できた、
できなかった、
の違いであり、
結局、
できた人は、
最後までやった人、
できなかった人は、
途中でやめた人、
ということになりそうです。

では、
最後までやった人と、
途中でやめた人の違いは、
というと、
何を持って「最後」と決めたか、
ということではないか。

ここまでやってだめだったらあきらめよう、
という最後もあるでしょう。

でも、
ここまでやってだめだったら、
目標や方法を変えよう、
という人には、
最後ということはないかもしれません。

取り組む課題や環境によっても、
状況は変わるでしょうが、
自分にとってストレッチな課題、
つまり今の自分にとっては、
ちょっとだけ難しい課題を、
可能な範囲で取り組んでいく、
という方法もあると感じます。

ちょっとだけ難しい課題を、
可能な範囲で取り組んでいく、
つまり、
自分なりに納得した方法で、
自分に負荷をかけて取り組み続ける、
ということではないでしょうか。

そして、
取り組み続けるのに必要なこと、
それが、
自らの熱い思い、
だと感じます。

ちょっといい自分を創るコツ(16)「場を作る」

こんにちは、くらです。

人生には色々なことが起こります。

でも、
それを一つ一つ、
自分なりに、
あるときはぶつかり、
あるときはかわし、
あるときは挑み、
あるときは諦め、
そうしているうちに、
自分なりの歩き方ができて来るのではないでしょうか。

本、TV、Webなどを通じて、
様々な人が、
その人の人生を語る機会が、
今とても増えているような気がします。

単なる成功物語だけでなく、
生い立ちや、
先祖代々にまつわる話など、
その範囲はとても広くなっています。

色々な方々の話を聞いて思うことがあります。

成功とは、
人によって、
全て定義が違うのではないか。

社会的な名誉を獲得する、
大金持になる、
困難な目標を達成する、
組織で認められる、
・・・・・・

などなど、
人によって、
成功の意味が決められているような気がします。

そして、
本やTVなどで成功者として紹介される方々は、
これは私の勝手な判断で、
全てに当てはまるわけではないと思いますが、
成功しよう、
と思って成功したというよりも、
目の前の道を、
自分で決めて、
只管(ひたすら)歩んだ結果、
いつの間にか、
成功を獲得していた、
という方が多いように感じます。

そして、
その方々に共通しているのが、
他の人が幸せになれる場を提供している、
ということ。

例えば、
電気、水道、ガス、家屋、舗装道路、
などのインフラを始め、
車、電車、飛行機、TV、パソコン、スマホ、など、
あらゆるハード、ソフト、
あるいは、
銀行、郵便局、学校、警察、消防署、
そして様々な企業、などなど、
我々の周りに当たり前のようにあるものは、
我々人間の安全で暮らしやすく、
向上できる場を提供しています。

そして、
それらの大本は、
それが必要だと思った人たちがいて、
それを実現した結果、
現代の我々がその恩恵に携わっているのです。

もちろん、
その中にはお金や権利、
私利私欲が動機で動く人もたくさんいたかもしれません。

でも、
私利私欲で動く人だけでは、
社会は成り立っていかないのではないか、
と思えることが、
世の中には結構存在すると感じます。

自分の人生をどう生きていくかは、
その人自身が決めることで、
どんな人生になろうと、
その人の思いや考え方次第、
つまり、
全て自分の責任である。

自分がいて、
他人がいる、
その場を、
どう形作っていきたいか、
自分に問い続ける、
それがその人の生となります。

「我々が人生の意味を問うのではなく、
 我々自身が人生に意味を問われている。」

「夜と霧」の作者、
ヴィクトール・フランクルの有名な言葉です。

なぜそれをやるのか、
なぜそれが自分なのか、
簡単に答えは見つからないかも知れませんが、
常に我々は自分に問い続けながら、
今を、
自分で、
体験していく必要があるのだと、
自分に言い聞かせながら、
日々を生きていくことが大事なのではないでしょうか。

ちょっといい自分を創るコツ(15)「壁を乗り越えるには」

こんにちは、くらです。

ものごとをなにかしら決めるとき、
決断するのが早い人、
なかなか決断できない人、
色々いると思います。

状況によって、
どちらがいいとか悪いとかは、
はっきりとは言えないと思いますが、
スピードを求められる今のビジネスの世界では、
より早く、
より効果的な決断、
ということが求められています。

物事に対して正確な判断ができるかどうかは、
まずそのことに対する知識や経験が大きく影響すると思います。

反対に、
知識や経験に頼っていると、
未知のものや、
未経験のことに対しては、
正確な判断ができなくなって、
自信を無くすか、
その問題そのものを無かったことにする、
つまり、
手をつけずにやり過ごしてしまう、
ということになってしまう可能性もあります。

経験や常識に頼った結果、
重大な事故になってしまった、
という例は、
世の中に多々あると思います。

では、
自分で判断して決める、
というとき、
なにを頼ったらいいのでしょうか。

いままで経験もしていないことを、
正しく判断して決める、
などということは、
そう簡単にはできないでしょう。

もしできるなら、
誰しも、
簡単に成功者になれると思います。

簡単ではないからこそ、
成功する人は、
人には言えない、
辛く苦しい孤独な道を、
自分なりに創造していくのだと思います。

自分の歩く先に道がないとき、
どうすればいいのか。

大切なことは、
むやみにあたりかまわず歩き出す前に、
一度、
その場で佇(たたず)んで、
考えてみることです。

なぜこれをやるのか、
なぜ自分はそれが必要だと思うのか、
その目的を確認することです。

「ザ・ビジョン(原題:Full Steam Ahead!)」(ケン・ブランチャード)という本に、
次のようなことが書かれています。

家庭でも会社でも、
どんな組織でも、
人々が生き生きと活発に、
自分らしく生きていくには、
目的と価値観が達成された未来のイメージを、
一人ひとりが当事者となって、
創造していく過程が、
ビジョンには大切であり、
そのビジョンがあれば、
人は道に迷いそうになったときに、
先に進む道が見えてくる。

仕事でも人生でも、
先に進むには、
自分なりの指標を持つことが大切です。

つまり、
目的、価値観、未来のイメージが内包された、
自分なりのビジョンを持つことです。

壁にぶつかったとき、
立ち止まってみて、
自分のビジョンに問いかける。

それが、
次へのステップにつながると思います。

ちょっといい自分を創るコツ(14)「創造力」

こんにちは、くらです。

創造力はだれにでもある、
でもほとんどの人が、
その力を発揮していない、
ということを聞いたことがあります。

誰しも子供の頃は、
皆すばらしい創造力を持っていたけれども、
歳を経るにしたがって、
その力がだんだん落ちてくる。

なぜかというと、
社会の中で生きていくうちに、
色々な規制や制限を受け、
社会の中で生きるための常識を、
当たり前として受け入れ、
いつの間にか、
自分の創造力も、
常識の範囲外として排除するからである、
ということだそうです。

そう言われてみると、
子供の頃は、
嫌な思い出もありますが、
楽しかったことも多々あって、
色々なことを思いつきながら、
日々外で暗くなるまで遊んでいた気がします。

私の子供の頃は、
PCもiPhoneもなく、
TVゲームなどもない世界でした。

ですので、
遊ぶといえば、
外で誰かとなにかやるか、
部屋で漫画を読むか、
ほぼそのどちらかだったと思います。

こう思い返してみると、
あまり創造力とは関係ない世界かもしれませんが、
今の世界のように、
情報があふれかえっているようなことはなく、
当時の子供にとっては、
学校での友達との会話で、
ヒーロー漫画(なんといっても鉄腕アトムでした)や、
怪獣映画の話をしては、
勝手な話にどんどん展開させたりして、
情報の少ない分、
空想で補っていたかもしれません。

情報が足りなければ創造力が増す、
ということは言えませんが、
情報が多過ぎても、
思考の規制や思い込みにつながる、
という可能性もあるかも知れません。

大切なことは、
常に、
柔軟に、
ありのままに、
物事を捉えることではないか。

自分の物事の捉え方が、
なにか偏っていたり、
事実そのものより、
人の好き嫌いで判断していたり、
など、
自分でも気づいていない、
色メガネで見ている可能性を、
自分で意識することが大切だと思うのです。

人によって、
捉え方によって、
事実というものは変わる可能性がある。

ですので、
完璧ではなくても、
今の時点では、
この判断も悪くないかもしれない、
くらいの気持ちで、
自分を受け入れながら、
日常に出てくるあらゆることに対処できたなら、
世界は少しずつ、
今より楽しくなってくるかもしれません。

そして、
もしそのときの判断が間違っていても、
自分は大らかにそれに対処できる、
何度間違っても、
きっと私自身も、
私に関わる人たちも、
いつも笑顔でいられる、
そのために、
前を向いて進めるのだと、
とても脳天気に(笑)いつも思っています。

この世界も、
自分の人生も、
楽しいことばかりではないけれど、
小さな自分の周りは、
探してみれば、
小さな幸せや、
小さな喜びは、
もしかしたら、
いっぱいあって、
それを見つけられる、
大らかな目を、
この小さな心で持つことができたなら、
自分の前には、
自分なりの、
小さな道が
先のほうへ続いていくと、
これまた脳天気に、
信じて少しずつ、
人生を進んでいけたらいいと思っております。

ちょっといい自分を創るコツ(13)「こだわりを知る」

こんにちは、くらです。

多くの人は、
自分が大切に思うことには、
ある程度のこだわりがあると思います。

自分なりの人生を送るには、
ときにはこだわりがとても必要になるかもしれません。

こだわりから自分自身で決定し、
それによって、
自分の人生がどう進んでいくのかは、
やってみなければ分からない、
ということも多々あると思います。

懸命に生き、
一世一代の決定をしていく、
そんな人生の大きな山を迎えるとき、
こだわりがあってもなくても、
自分自身に問いかける、
一つの言葉を、
私個人は大切にしてきたような気がします。

自分の決定によって、
この先どうなろうと、
自分を含めた、
自分の大切にしている人たちが、
いつも笑顔やほがらかでいられる人生が、
多少の波があっても、
消えないでなんとか維持できるようにしたい、
そうするためには、
こだわりの中でも、
ふっと遊びの余裕を心に持たせる言葉、
それが、
前回お話した、
「ま、いっか」
なのでした。

自分のこだわりはなにから来ているのか、
なんでそれにこだわるのか、
自分に問いかけてみる、
更にその答えになぜそうなのか、
と問いかけ続ける、
そして自分なりに答えが出なくなるまで問いかける。

答えが出なくなったら、
一度そこで置いてみる。

一度保留してみる。

そして、
少し時間をあけてから、
もう一度問いかけ、
考えてみる。

そのとき、
まだ色々な考えが浮かんで、
気持ちがぐらぐらするならば、
そのこだわりは、
もしかしたら、
自分が作り出したものではないかもしれません。

なぜなら、
我々はそれまでの人生で出会った、
ありとあらゆることに、
自分では気づかないほど、
影響を受けていると思うからです。

自分のこだわりが、
今まで影響を受けてきた、
何によって生まれてきたのか、
それに気づく必要があるのです。

気づかないまま、
自分のこだわりを通すということは、
もしかしたら、
自分の人生を、
見えない壁で、
息苦しく、
狭い世界にしているかもしれないからです。

でも、
自分は何によって影響を受け、
なぜそれにそれほどこだわるのか、
という問いを自分に発したとき、
その答えがたとえその時分からなくても、
それで十分なのだと、
自分に言い聞かせることが大切だと思います。

自分に気づく、
自分はそんなことを考えているのか、
今そんなことを感じているのか、
自分を客観的に見つめられたとき、
人によっては大きな一歩となり、
一つの壁を越えられるのだと思います。

自分がなぜそれにこだわるのか、
考えても分からないとき、
とりあえず、
「ま、いっか」
と保留して、
先に進むうちに、
自然にいつか答えが降りてくる、
そのとき初めて、
人は自分自身を受け入れられるのだと感じます。

ちょっといい自分を創るコツ(12)「ま、いっか」

こんにちは、くらです。

言葉が運命を創る、
ということを聞いたことがあります。

その人がいつも使う言葉が、
その人そのものである、
ということなのです。

いつも愚痴を言っている人、
いつも自分はだめだと言っている人、
いつも人の悪口を言っている人、
いつも将来の不安を言っている人、
などは、
すべて、
その人が口にするネガティブなことを、
いつも口にできるような人生を送っている、
つまり、
自分の心のどこかで、
自分はそのような人生を送るに違いないと確信している、
更に言ってしまえば、
そのような人生を送りたいと願っている、
ということかもしれません。

反対に、
自然にいつもポジティブな言葉を使えている人もいます。

今回はだめだったけど次がある、
今は苦しいけどまだまだこんなことではあきらめない、
とか、
自分ばかり仕事が増える気がする、
でも初めてやることだから勉強にはなるな、
とか、
どうも上司は私のやりたいことにいい顔をしない、
これは多分自分の伝え方が今ひとつ理解しづらいのかもしれないな、
それに上司と話すときはどうも緊張するので、
リラックスして、
だめだと言われても、
笑顔で、
「分かりました、また来ます!」
くらい余裕を持って話したほうが、
こちらも次も頑張ろうという気になるかもしれない、
など、
色々なネガティブ要素も次への通過点と思える、
そんな心の余裕というか、
気楽さというか、
言い方に問題あるかもしれませんが、
脳天気というか、
そういう要素を、
ポジティブな人は持てているかもしれません。

もっと簡単に言ってしまうと、
なにが起こっても、
「ま、いっか」
と思えるような心の広さ、
というのでしょうか、
常に人と比較するような、
競争世界の価値観とは一歩距離を置く、
それでいて全く離れているわけでもない、
いい意味での厚かましさ、
人には気にならないほどのふてぶてしさ、
ちょっと笑ってしまえるほどの、
柔らかい強かさ、
というようなものではないかと思うのです。

更に簡単にいってしまうと、
ほがらかにさわやかに楽しく生きるか、
怒りっぽく愚痴っぽく妬みっぽく生きるか、
自分はどちらを選ぶか、
つまり、
自分はどう生きたいかは、
自分で決める、
ということだと思います。

そうはいっても、
ほがらかにさわやかに楽しく生きたいと思っても、
簡単にはいかないことばかりかも知れません。

そこで出てくるのが、
「ま、いっか」という言葉。

怒りや愚痴や妬みの思いや言葉が生まれたあとで、
「ま、いっか」
といって、
心の切り替えをする、
ということをやってみてはいかがでしょう。

私自身も、
この言葉にかなり助けられています。

たった一人ですが、
エビデンスで実証されております(笑)。

ちょっといい自分を創るコツ(11)「まず知ること」

こんにちは、くらです。

ちょっといい自分を創るコツの一つは、
よりよく生きること、
だと思っております。

では、
よりよく生きるにはどうするか。

論語に、

「之を知る者は之を好む者に如かず。
 
 之を好む者は之を楽しむ者に如かず。」

という言葉があります。

之、とは人の人たる道をさし、
この文は、
道のあることを知っている者は、
道のあることを知らない者よりは勝れているが、
道を好むものよりは及ばず、
道を好む者は、
道を楽しむ者には及ばない、
ということを意味しています。
(「論語解釈」講談社学術文庫より)

知るだけでは上達せず、
好きになって初めて向上し、
更に楽しめるようになると、
上達とか向上とかの世俗的なものさしなど関係なくなり、
純粋にそのものになりきれる、
つまり、
人間の作った勝手な判断基準を超える、
我を無くす無我の状態になって、
対象と一体になる、
ということではないかと思います。

禅の精神に近いのかも知れません。

といっても、
私の場合は、
禅があるということを知っているだけですが(笑)。

知っている、
という状態から、
楽しむ、
という境地に至るまでには、
好む、
という段階がある、
ということにも取れます。

そう考えると、
これは生きるうえで、
全てのことに共通することではないでしょうか。

知る、
というのは1人でもできる。

それを好むようになるには、
その対象を通じた経験が必要になる。

その経験を重ねていくと、
更に知るようになり、
そして更に好むようになり、
いつの間にか楽しんでいる、
ということではないでしょうか。

自分のことで考えてみると、
私は中学生の頃からギターを弾いているのですが、
最初はギターを弾いている人を見て、
かっこいい!
と思い始めたわけです。

そして練習し始めます。

最初は基本的なことばかりです。

とてもかっこいいようなことはできません。

それどころか、
いくら練習してもちっとも上達しない、
とてもかっこいいどころではなく、
むしろかっこ悪い自分がそこにいます。

取り組んで初めて、
その対象が、
実は並大抵のものではなかった、
と悟ります。

この段階が、
知る、
ということではないか、
と私は思うのです。

ギターを練習し始め、
指が思うように動かず、
だんだん嫌になってきて、
「もうやめる!」
と口に出してしまいました。

中学1年生のときです。

それを聞いていた母が、

「そんなに急にうまくなるわけないんだから、
 ゆっくりやればいいんじゃない?」

ニュアンスは多少違うかもしれませんが、
そんな意味のことを言いました。

今から考えると、
その言葉のお陰で、
ギターを続けてこられたのかも知れません。

「そんなにあせる必要ない」

と思い始め練習を続けると、
次第に指が動くようになりました。

そうすると、
あこがれのアーチストの曲を、
当時はレコードでしたが、
そのレコードと同じ音で、
自分のギターで弾けたときの感激を、
今でも忘れることはできません。

ちなみにその曲は、
フォーククルセイダースの、
「悲しくてやりきれない」
という曲でした。

とてもきれいなギターのアルペジオで始まる曲です。

アルペジオとは、
コードを一音一音右手の4つの指で別々に弾きながら、
歌の伴奏とするものでした。

その曲の最初のコードが、
B♭という難物で、
左手の人差し指で6弦全部を押さえる、
いわゆるセーハ(昔はバレーといいました)が必要でした。

どうやっても音がきれいにでませんでした。

それで嫌になり、
さきほどの「もうやめる!」という言葉になったわけです。

でも、
何日も練習していると、
だんだん音が出るようになり、
最後はレコードのように、
とてもきれなアルペジオが弾けるようになりました。

これでギターに更にのめりこんでいくのでした。

この段階が、
好きになることだと思います。

色々なことに取り組み始めるとき、
知ることまでいかずに、
諦めてしまうことが、
人生にはあると思います。

並大抵なことではない、
ということを知って、
でも好きだからやり続ける、
また更なる壁がやってくる、
それでも好きだからやる、
これができて、
初めてそれを好む、
ということがいえるのではないでしょうか。

高校へ入ると、
ギター好きの友人ができて、
その友人の影響で、
エレキギターにはまっていきました。

今までの弾き方と全く違う弾き方に、
感動しながらギターを練習し続け、
バンドで弾くようになりました。

バンドでは、
ちょっとマニアックですが、
当時の私のヒーローだった、
エリック・クラプトン(クリーム)、
ラリー・カールトン、
ロベン・フォード、
などのアーチストの曲を演奏しました。

難しい曲ばかりでしたが、
大学の学園祭などで演奏するのに、
一日8時間くらい練習するのですが、
ちっとも苦にならないのです。

人前でかっこよく演奏したい、
という欲もあるのですが、
なにしろ楽しいのです。

難しい曲ほど、
練習が楽しい。

うまくできなくても、
その曲に没頭しているときが、
なんともいえない、
至福のときでした。

そういう思いを一度すると、
楽しいというレベルを、
自分なりに感じられるようになった気がします。

知って好んで、
また知って好んで、
この繰り返しを続けていくと、
いつの間にか
楽しんでいる、
という境地に達しているのでは、
と感じております。